思い出と過去の鎖。本当の強さ。

僕は中高で弓道部に入っていました。

興味があったから入部したのは間違いないんだけど、その時一緒に部活を回っていた隣の席の友達も弓道部に興味があると言っていて、そのことが後押しになったというのが正直なところ。
そのくらいの理由。

ちなみに弓道部の前に見学に行った剣道部では、道場を覗いてる僕たちに気が付いた先輩が湯気を上げながら勇ましく歩み寄ってきたことにビビッて見学すらせずに逃げた。

こう思い返すと、武道に興味があったのかな?

それで弓道部に入部したものの、中学では幽霊部員でほぼ部活に参加せず。
高校に入って、高校からの新入部員も増えて、そこから参加するようになった。

部活には行かないけど、いつもつるんでいたのは弓道部の連中。
だから、なんとなく友達との距離が離れていくのが怖くて、部活には行かないけど頭でずっと弓を引くイメトレをしていた。

だからなのか、行き始めてからはすごいスピードで出世?をして
高一の秋からは必ず試合のメンバーに入り、上級生のインハイ・国体チームが引退になってからはずっと1軍になっていた。
色んな大会や練習試合でそこそこ結果を出して、僕は指名を受けて主将に。
(さらっと書いたけど、めちゃくちゃ研究したし、はちゃめちゃに練習もした)

そして、自分の代が最高学年になった年のインハイ予選。

僕のいた高校は、弓道部の歴史もあり、顧問の先生の力もあり、実際に強かったこともあって、毎年国体少年男子の枠を総取りしていた。

それもあって、インハイ予選の前には、すでにいつもの1軍チームが国体選手として決まっていた。内々定みたいな感じ。

そして僕らの代は粒ぞろいで、過去数年で一番強い代と言われていた。
だから、5人立のインハイ予選でも戦力が落ちることなく、本戦で勝てるレベルの的中をずっと出していた。

インハイ予選当日。僕は恐怖で青ざめていた。自分も周りも信用できなかったから。

実は練習の時から、自分の調子の悪さに気が付いていた。
中たってはいるけど、なんともしっくりこない不安。
周りのメンバーも同じだった。全員的中の調子はいいけど、射の調子は誰も良くなかった。ように見えた。
お調子者の集まりで的中も出てるのに、誰も調子に乗ってなかったのは、もしかしたら全員顕在的なのか潜在的なのか、同じことを思っていたのかもしれない。

僕は大前で、他校よりも体配を素早く行って一番最初に的中音を響かせることを意識的にやっていた。先に詰めたら勝ちだから。

そして当日。
一本目は無事全員中たる。そして二本目。

ここで恐怖に襲われる。まったく自分を信用出来ない。
そして恐れていたことが起こる。二本目を外す。時間を巻き戻したかった。

案の定、二本目はチームとしてボロボロ。必ず最速で中てる大前の主将が外したらそれは焦る。焦って調子の悪さがあぶり出される。
そこからは、具体的には覚えてないけど負ける。
本戦どころか、都予選の予選で敗退。

もの凄く責任を感じたし、引っ張れなかった自分が許せなかった。
会場で後輩も沢山いる中で、学ランをかぶせて子どものようにわんわん泣いた。

親友たちを信じれなかったこと。引っ張れなかったこと。引っ張るどころか、悪い流れを作り出してしまったこと。
最強の代と言われていた中で、本戦の連続出場が出来なかったこと。
すべてにおいて、時間を削って教えてくれ、引っ張り上げてくれた顧問の先生に返せなかったこと。

そのあと、高体連の弓道の先生方の中で色々あったらしく、僕らの国体出場は取り消しとなって、そこで高校弓道生活が終わった。

多分、いつも通りうちの高校から出す予定だったけど、インハイ予選で負けたことで、もともと不満に思っていた他校の先生が異議申し立て。顧問の先生としても何も言えず。
ということが本登録前にあったんだと思う。

僕としては、最後の「顧問の先生に返せなかった」という後悔がかなり大きかったということが、今回弓道を再開してから分かった。

顧問の先生はすごい先生だった。
メンバーは毎年全国レベルの選手になるし、見ていても、的中が出るだけじゃなくてちゃんと上手い。中たればいい弓道ではなくて、ちゃんとした射を教えたうえで結果が出ていた。
セレクションが沢山いる大学弓道(僕は一浪して、一部リーグの弓道部に2,3か月だけ入った)でも先輩やコーチの目に留まっていたし、再開をした今、18年のブランクを経ても、「素直な射だなー」「さぞいい射手だったんでしょう」という言葉をもらうこともある。
これはもう、まぎれもなく高校の顧問の先生の教えなんだと思う。

でも、うちの高校は都レベルでは当時強豪で通っていたけど、そこを超えると無名だった。
昔を知っている先生方からは挨拶をされたりはするけど、全国レベルではあまり知られていないということを痛感していた。
それがすごく悲しくて、突き抜けない自分に責任を感じていた。

だからこそ、自分の代で名を届かせたかった。
せっかく年中時間を返上して教えてもらっていて、それで曲がりなりにも上達をして、何より楽しくて、上を狙える土台があったから、結果で報いたかった。恩返しをしたかった。

それを、そんなことしたくないのに、不本意に裏切ってしまった。自分のせいで。
それが鎖のように、当時から今の自分に長々と繋がって巻き付いていた。


これが、僕の弓道の思い出。
楽しかった青春の記憶であり、罪悪感と無力と後悔の塊。

弓道を再開して、割とすぐに辿り着いた過去の後悔。

再開した当初は、大きい大会はいつだ?どう出るんだ?国体は??ということばかり考えていて、高校の頃の部活を度々鮮明に思い出していた。
最初っから勝ちたくて勝ちたくてしょうがなかった。
とにかく一秒でも早く結果を出したかった。
過去の自分を否定するように。

それは、過去の後悔、罪悪感に引っ張られた想いだった。

大学に入って弓道部に入ったけどすぐに辞めたこと。
そのあと何度も断捨離をしたけど、弓具は捨てずに残していたこと。
当時の賞状や盾は全部躊躇なく捨てたこと。
この理由も全部分かった。

あの当時のメンバーで勝たなきゃ意味がなかったから。
弓道に未練があったから。でも、この後悔を直視できなくてやっていなかった。
インハイや国体の賞状以外は、自分にとって価値がなかったから。


今は大分変わって、弓道のモチベーションもただ結果で勝つことではなくなってきているけど、それでもまだ痛みは残ってるなというのを、書いていて感じる。

間違いなく言えるのは、当時は本当に楽しかったし、そのおかげで今の楽しさがある。
そのおかげで、今も弓道を楽しめているということ。

探しているのは、表面的な結果ではない、本当の強さなんではないかということ。


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