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はじめてのホームシック

つい最近、わたしはじめてホームシックになった。親元を離れておよそ8年半後の出来事。

わたしが親元を離れ、一人暮らしを始めたのが大学1年生の時。その時は自分でもびっくりなのだが、全くホームシックにならなかった。(強いて言うなら、大学の入学式に来てくれた母と別れる際、少し寂しいなと思ったくらい。)むしろ、初めて自分の部屋を手に入れられた喜びが大きく「一人暮らし万歳!最高!」っていう感じだった。(実家には自分の個室がなかった。今は高校生まで自分の部屋がなくてむしろよかったと思っているけどね。当時は欲しかったな。)

大学を卒業し、社会人になってからもホームシックとは無縁の生活。すでに、4年間の大学生活で一人暮らしというスタイルが自分の中で当たり前になっていたので何も感じなかった。むしろ、「もう実家には戻れないし、誰かと共同生活なんてできる気がしないわ。」という心情だった。

その後仕事を辞め、ヨーロッパにおよそ10ヶ月滞在。「日本食恋しいな」とか「シャワーじゃなくて、お湯に浸かりたいな」とか、日本に思いを馳せることはあっても、「寂しいな」という感情は出てこなかった。毎日が冒険で、挑戦で、新鮮で、沢山の出会いもあって、ホームシックになる隙なんてなかった。

帰国。わたし自身の次なるステージは一体なんなのか。わたしにはじっくりと考える時間が必要だった。でも、10ヶ月全く働いていなかったからお金も必要。次のステージが決まった時にすぐ動き出せるようにね。ということでちょっとだけ、住み込みで働くことを決断した。ちなみに、帰国してから住み込みのお仕事が始まるまでの1ヶ月ちょっとは、実家でのんびり、家族と楽しい時間を過ごした。親が仕事休みの日は、家族みんなで実家のある県内を色々巡った。この期間は実家にいるのだからホームシックになる訳がない。

ここまでがホームシックとは無縁のわたし。

でも、ここから奴は突然わたしの前に姿を現す。住み込みのお仕事に行く前々日の出来事だった。いわゆる予期的ホームシックってやつ。実家を出るのが寂しくてしょうがない。

ホームシックの理由の1つ2つとして約1年ぶりの労働、また、初めての住み込みという環境に対する不安というのもあるとは思うが、一番の割合を占めているのはそれらではない。家族と離れるのが「寂しい」という感情だ。布団の中で静かにしくしく泣いた。

赴任後も数日間、ホームシック状態は続いた。夜になりベッドに横になると涙がポロリ。最近は落ち着いていたが、今、こうやって言語化していると、蓋をしていた寂しさが、沸騰したお湯の吹きこぼれのようにじわじわと溢れ出してくる。どうしちゃったんだわたし。

理由を自分自身に問いかけた。

1点目。ありきたりの理由だが、最近「親と会えるのってあと何回なのかな」と考えたから。一人暮らしをしていた時は年に1回の帰省。親が100歳まで生きてくれたとしても会える回数なんてそう多くはない。ましてや海外、特にヨーロッパに今後長期滞在する道を進んだら、その回数はもっと減るだろう。

一緒に過ごせる時間は有限だと、強く、明確に認識したからこそ、出来るだけ一緒にいたい。その思いが溢れて、離れるのが寂しくなったし、少し怖くなった。

2点目。「家族で過ごす時間って最高」だと改めて感じたから。帰国から住み込みの仕事を始めるまでの約1ヶ月。本当に幸せだった。毎日みんなでご飯を食べて、たわいもない話をして。休みの日にはお出かけをして温泉に入り、みんなでソフトクリームを食べる。この最高な時間がずっと続いて欲しいと思った。手放したくないと思った。住み込みという選択でその時間を手放してしまったわたし。悲しくてしょうがない。

上記2点が「ホームシック」になった大きな理由だと思う。

わたしはよく誕生日を節目に心情が変わる。今回のもきっとそれ。

この新しく芽生えた「ホームシック」。今のわたしにとって意味があるから、このタイミングで出現してきたはず。

正直、自分には一生無縁だと思っていたものだから戸惑いはある。でも大切にしよう。(さっきは「奴」呼ばわりしてごめんよ。わたしの「相棒」だね。)







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いときち
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