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迷子になった拳レビュー
格闘技に興味が無く、ドキュメンタリーをよく見るわけでも無い。
強いて言うなら迷子。
学生時代ドキュメンタリーを課題で撮影したことがある。「事実を映す」ことがドキュメンタリーで「空想を描く」のが劇映画だと思っていたら、最初に言われるのが「ドキュメンタリーとは監督が見せたい様に編集すること」でした。
ジャズィ…
即興で構成を組み立てながら素材を狙って撮れ!というのが先生の話で、撮ろうとしても思う様な画は撮れないもの。ドキュメンタリーは監督の心情であって事実とは若干違うんだと知りました。
主役は「ラウェイ」という禁じ手の無いミャンマーの神聖な格闘技に挑む日本人。金子選手を追っていたのかと思いきや渡慶次選手へと被写体を映すあたり、編集中の監督の困り顔が目に浮かびました。
「この撮影の前に仕事をクビになった」という一文が、選手の誰より路頭に迷っている様に思えて、私は姿の見えない監督に一番共感しました。
パンフを買ってみました。
割と映画のパンフレットを買ってしまう種の人間で「買わなくてよかったな」と思うことも多いんですが、全体にすごい熱量のコメント文で映画と同じくらいの濃厚さでお勧めします。
ラウェイがlethwei、less wayと空見する
個人的にはパンフに掲載の中井祐樹さんの「もう迷わず行く時なはずなんだ」というコラム、劇中の金子選手のお母さんの『お母さん、彼立てなくなっちゃいますよ』と思う様な一喝、何よりミャンマーの金子選手の師匠の「相手に対するリスペクトを忘れてはいけない。”戦う時は獅子たれ。それ以外は謙虚たれ”だよ」と諭す言葉、胸にこみ上げるものがありました。
ラウェイが神聖なものとしての側面を保っていられるのは、それを支える人たちの道の精神があってこそなんだろう。
そう思うけど、馬鹿にするのとも違ってやっぱり格闘技って痛そうでよくわかんないなぁ…
金子選手は「かっこいい自分であるため」渡慶次選手は「家族に誇れる自分であるため」の様に見えた。
目的はなんであれ、やっぱりそのフィールドに骨を埋めるくらいの覚悟の差が結果の差なんだろうと思うと「私に彼らの様な熱量はあるのか」と迷う日々であります。
迷いながら戦うことで迷惑かけることほど辛いことは無い
もし同じ様に迷うなら、それは自分で切り拓く道があるのかもしれないと「面白いと思うものが無いから自分で作った」という中島らもさんの言葉を思い出してがんばろっ=͟͟͞͞ ⊂(^-^)⊃