猿の手深読み
有栖川有栖氏の中編「妃が船を沈める」の作中で、登場人物たちが、古典ホラーの傑作「猿の手」について意見をたたかわせる記述がある。
身元の確認に手間取るほどの損傷を受けた遺体。古典ミステリでそのようなモノが登場すれば、「顔のない死体」、即ち「Aと見せかけて実はBだった」というトリックを連想する。
そしてまさしく「猿の手」には「顔のない死体」が登場する。この短編はミステリではなく、ホラー・怪談に分類されているため、読者はこの「顔のない死体」が、物語が誘導する人物であると信じて疑わないし、それで問題なく物語は進行する。
しかし実は、私が「猿の手」読んで感じた違和感に「死体は別人だった」という解答を導入してみると、こんな物語(騙り?)が浮かび上がってきた。
「猿の手」の冒頭。年金生活を送っていると思しき初老の主人公、その妻、工場勤めの一人息子、そんな家族の元に客人としてやってきた、長く外国暮らしをしていたらしい男。主人公一家は英国労働者階級で、客人はディレッタントというか、働かなくても暮らしていける階級の匂いがする。当時の英国でも、異なる階級は全く友人付き合いをしない、というわけではないのだろうが、どうして彼がわざわざ、大して親しくもない一家の家に、猿の手を持ってきたのか、そこが不明な点が気になった(パブで隣り合わせた見知らぬ人からもらった、というほうが、まだ自然な気がする)。
だれが彼を招いたのか? さほど社交的な生活を送っているようには思えない主人公でも、同様の生活を送っているその妻でもなければ、息子のヒューバートが招いた客に違いない。
ここで想像をたくましくしてみる。
1 客人はヒューバートと、当時の英国規範では「許されざる関係」にあっ
た。
2 ヒューバートと彼は、英国を出る決心をしていた。
3 ヒューバートは、年老いた両親のためにお金を遺し、なおかつ、自分が
いなくなっても両親が諦めてくれる方法、つまり、自分が工場で事故死し
たように見せかけ、補償金が遺族に渡るように画策した。猿の手は、父親
を暗示にかけるための小道具だった。
4 自分の身代わりとなった遺体は、ヒューバートが同性愛者だと気づいて
脅迫してきた同僚。彼を殺し、機械に巻き込ませることによって、事故死
を偽装し、脅迫者を抹殺できる、という一石二鳥の計画
5 自分の死を偽装し潜伏していた彼は、英国を離れる直前に、悲しみの淵
に沈んでいるだろう両親に、せめて、真実の一部分(自分は生きている、
ということ)だけでも伝えようと、夜中に自宅を訪ねる。しばらくノック
をし続けるが両親は出てこない。タイムリミットが迫り、愛人が車で迎え
に来る。彼は諦めて車に乗り込み、自宅を後にする。
冒頭にあげた「妃が船を沈める」の中で「『猿の手』はすべて『寸止め』なんだ」という意味のことが語られている。この場合の寸止めとは、正面切って超自然的な現象を語っていない、という意味である。物語の中で、超自然的な出来事は一切起こらない。願いを口にしたとき、「猿の手が動いたような気がした」という現象も、あくまでも本人の主観とされている。
だからその隙間から、こんな物語を拾ってみた。
「猿の手」は、まるで救いのない、悲しい怪談である。
だが、この騙りでは、「猿の手」の時点では忌避されていた同性愛が、現代では受け入れられるようになったため、ヒューバートが両親に(高齢で気落ちしているため、確率は高くないような気がするが)ひっそりと再会する未来があったのではないか、と思ったりもするのである。