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【あおもり紀行】第13話。三戸城跡が国史跡に登録!没後600年を経て祀られた南部光行公。
三戸城跡城山公園は桜の名所
青森県の紅葉の名所を巡る旅2021。続いては三戸郡三戸町にある国史跡三戸城跡城山公園。実はなんと!2022年3月15日に国史跡に指定されたばかりのホヤホヤ。古いモノなのにホヤホヤとはこれいかに。
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城山公園は桜の名所だ。ウェザーニューズやウォーカープラスなどの全国規模のウェブサイトでも開花情報が伝えられている。紅葉の名所でもあり、ライトアップしているということで行ってみた。
アッツぁ!細い道だ。この道でいいんだべが。
実は城山公園を訪れるのは初めて。ナビは三戸の街中を通って、2車線の道を曲がって1車線の道に入っていくように示している。この細い道でいいんだべが。こういう観光地は大型バスが入れるように大きい道路のイメージがあるから不安になってくる。うぬうぬど進んで行くと城郭が見えてきた。イガッタ!
わいは!もう午後4時。太陽が沈んでまるぢゃ。ライトアップを狙ってはいるものの、明るい写真も撮りたい。早ぐ行がねばマイネ!
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ついた。
おろ〜、いい感じだ。
三戸城が夕日に照らされている。公園内の紅葉は真っ赤で、イチョウは真っ黄っ黄。赤と黄色のコントラストが、なんぼキレイだっきゃ!
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南部光行公を祀る糠部神社
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城山公園には糠部(ぬかべ)神社が鎮座している。祀(まつ)っている神様は南部藩の始祖、南部光行公で、御祭神名は「南部三郎源光行命(なんぶさぶろうみなもとのみつゆきのみこと)」。
戦国武将は亡くなった後、神様として祀られることは珍しくない。源頼朝は「白旗大明神(しらはただいみょうじん)」として白旗神社に祀られているし、徳川家康は日光東照宮に「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」として祀られて世界遺産にまで出世している。こちらは仏教だから仏様になったわけだ。
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日が落ちると、糠部神社前のボンボリが点灯し、紅葉のライトアップが始まった。しかし、他に人がいなくて寂しい。しかも糠部神社のあたりは暗くてなんだか・・・
そういえば聞いたことがある。神社は生きている人が参拝するだけでなく、亡くなったけれど成仏できていない人が救いを求めて参拝に来るんだとか。そしてその人達(?)は夜に集まってくるから、夜は神社に行ってはいけないという・・・
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没後600年を経て祀られた南部光行公
南部光行公は、平安時代から鎌倉時代にかけての武将(1165年-1236年)であるにも関わらず、糖信神社が建立したのは明治10年前後(1877年)。今から室町時代の人を祀るようなものだ。なして、亡くなってから600年以上経ってから祀られたんだべ?
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糖信神社は旧南部藩の武士、佐藤連之助氏と三戸郡、二戸郡、上北郡、下北郡の有志達の尽力によって建立された。
当時は廃藩置県により、殿様が殿様ではなくなった時代。日本中の城は明治政府によって没収され、軍用地として広く使うため城門や櫓、石垣など、なんでもかんでも壊されていた。
また、軍用地として使わない城は二束三文でたたき売られ、世界遺産の姫路城の天守閣は23円50銭、現在の価格では10万円程度で売られてしまったという。
仕えていた殿様は一市民になり、江戸時代にサラリーマン武士は城に出勤していたけれども、その城は荒れ果てていく。武士は食わねど高楊枝と言うが、誇り高い元武士が、そんな有様を嘆いていたことは想像に難くない。尊敬する南部家の功績を残す方法として、始祖である南部光行公を祀ろうと考えることは当然のことに思える。弘前城の桜も旧藩士による植樹だから、当時の武士達は皆同じような思いを抱いていたのだろうな。
1876年(明治9年):神社の創建を上願
1877年(明治10年):許可がおりる
1878年(明治11年):社殿が完成
1891年(明治24年):火事で炎上
1894年(明治27年):有志により再建
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ちなみに温故館は資料館です。
なお、三戸町立歴史民俗資料館である温故館は、一見、城のようですが、櫓を模して造られた鉄筋コンクリートの建物。国史跡に登録する際に、史実に基づかない建造物だとして、文化庁から将来的に撤去するように求められているそうだ。
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〆