〈過去シリーズ〉2020年1月コロナ禍直前のバルセロナ11 旅の終わりに
この〈過去シリーズ〉2020年バルセロナは当時他所で公開していた記事である。
note開設してあっという間に2年、この度(旅だけに)やっと引っ越し敢行となった。作業終了次第、元の場所は閉鎖する算段である
そもそもnoteを始めたのはハト自身がそうであるところのHSS型HSPの情報を書くこととしていたのだけれども、あっという間に飽きてしまったので「自分だけの楽しみために書こう」とあっさり方向転換をして旅の記録をメインに書くことにして今に至る。
noteの正しい扱い方とかわからないままだし、書くことで精一杯なので気の効いたコメントなど滅多に書き込めないままだが旅のことを書くのは楽しく、特に京都旅は前知識をほとんど入れず、見て感じる優先で後から復習しながら書いていると、とても面白いのだ(それでアップするまで毎度だらだらになってしまうのだが、行かない間も京都に行っているようでなんだか良い感じではある)
話が脱線してしまった。
バルセロナ記である。タイトル通り、2020年1月の、いわゆるコロナ禍直前の旅の記録だ。
他所でアップしていたため、今のハトと語調が若干違うが、そこはご愛嬌で。
また、当時から5年近くも経っているため情報が古すぎるところもご愛嬌で。
バルセロナ11:初公開日:2020年8月3日
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2020年1月。コロナ騒ぎはまだ中国だけの話だった頃。
1/20〜1/27の8日間、バルセロナへ行って来た。
コロナ休暇が終わる前にその旅行記を書いておこうと思った。
が、休暇は突如終わってしまった。これからは普通の休日にてのんびりと綴っていく。
のんびりすぎて7月に突入。6月末に隣宅で建て替え工事が始まり、音の衝撃でエネルギーダウンしているため(HSP発動)思うように文章がまとまらない。なのに書きたい思いは爆走するHSSも同時に発動。この両極でますますエネルギーダウンしていくのだが、回復するためには無理やりでもHSS的行動とった方が良いようだ。←あくまでハトの場合かも。
そして7月も終わろうとしている。バルセロナへ行ったのが半年前だったと思えないくらい、激動の時間を過ごしている。
地元SCを見にいく
今回は1/25の続きから。
王の広場からホテルに戻り、荷物をパッキングする。
お土産らしいものはほとんどないし、買ったものは自分用の食材だけなので、荷造りはあっけなく終わった。他人様へのお土産はフィンランドの乗り換え時に購入決定であるのだ。
体力残っていないかも、と思ったけれど、まだ大丈夫そうなので、近くのショッピングセンターを覗きに行く。
近くといっても片道15分くらいだろうか。叔母はさすがにやめておくと言ってきた。
Sちゃんは行くと言う。
ショッピングセンターまでは何も商業施設がないような道を行く。旧市街と違って道は広く、車や大型車がガンガン通る。道沿いに建てられた建物も大きく、一体何世帯入居しているのだろうと言う規模だ。その割に歩いている人はほとんど無く、ここの生活とは?と思えてしまう。
変わったデザインの建築物群があった。バルセロナオリンピックの選手村だったところだ。リゾートマンション的な一画となっている、そこを横切って海側の道に出る。ここもこれといった商業施設はない…
15分くらいかも、と思っていたが20分もかかってしまった。
ようやく着いたショッピングセンターはイオンみたいなところだった。
極めて庶民的で、観光地的な緊張感がまるで無く、ゲームセンターやスポーツ用品店なども入っている。
食料品もコルテより数段エコノミーなものの品揃えが豊富。見ているだけでも楽しい。ここのワインコーナーに2ユーロのワインが売られていたので、うっかり買いそうになった。
結局のところ、見物を楽しんだだけで何も買わなかった。
来た道をちょっと急ぎ足で戻る。
メソン・シンコ・ホタス(夕食会)とガウディ夜景
ホテルに戻ったらちょうど集合の時間だった。
最終夜なので旅のメンバー全員での夕食会なのだ。
既にホテル前にバスが到着している。今回は日本語ガイドさんも現地ガイドさんもいない。バスのドライバーさんは陽気な人だが例によってスペイン語しか喋れない…ツアコンさんはスマホの翻訳機能を使ってコミュニケーションをとっている。(プロ用の翻訳機能かもしれないが)
ツアコンさんでさえ翻訳機能を使うのだ。スマホって本当に素晴らしい。ハトはこの先の一人海外旅はキビシイかもと思っていたが、新しいツールを使えばどんどんチャレンジしていけそう。
夕食会は日本人団体客を初めて受けたと言うレストラン。レストランはグラシア通りから一本西のランブラデカタルーニャ通り沿いにあった。イベリコ豚専門のレストランだと言うのでてっきり生ハムがメインだと思っていたら、イベリコ豚のソテーがメインだった。メニューはすでに決まっていて、ここでもドリンクは自腹。なので赤ワインを注文。
イベリコ豚のソテー。一人前に2枚。フルーツ入り(レーズン)ソースをかけて食べる。
お肉はしっかり味があってハトは美味しかったがスペイン基準らしくかなり硬め。ソースも甘めだったためかグループメンバーには不評。
お店の名はメゾン5(シンコ)ホタス。五つ星の店、という意味だ。綺麗なお店だった。生ハムもあるのだから、そっちが食べたかったな…
パンも付いていたが、例によって食べず。メインが非常にボリューミーだったため、食べなくて正解。
最終日の会食会にしてはシンプルすぎるメニュー(サラダ、パン、メイン、デザートの4品。お酒とコーヒーは自腹)だったため、メンバーにはかなり不評な内容であった。
ハトたちは特に毎晩、なかなか贅沢な夕食を楽しんでしまったのでので尚更…
まあ、これが団体旅行というものかも。
レストランを出てバスに向かう。
迎えのバスの乗り場がミラ邸のすぐ近くだったので、偶然にもミラ邸の夜景をも見ることが出来て嬉しかった。毎夕飯をホテル付近で食べていたから、市内の夜景を見ていなかったのだ。
バスの車窓からサクラダファミリアも見ることができた。
ツアコンさんがバスのドライバーに掛け合ってくれて、見えるコースを通ってくれたのだ。止まることはできないけど、と言いながらもサクラダが見える位置では写真が撮れるようにゆっくり運転してくれた。
これがバルセロナの見納め。
日本へ向かう
翌1/26。今日は帰るだけの日程となる。
朝食を食べたらすぐに空港なので、努力して早起き。
1月のバルセロナの朝は遅い。7時半ごろなのに、まだ真っ暗。
ホテルの向かいはガソリンスタンドだった…毎朝何気なく見ていた風景。
最後の荷物を仕舞い込み、移動させて使っていたホテルの部屋の家具を元の位置に戻す。
ハトはスーツケースに余裕があるので叔母の荷物のうちの一つを丸々入れ込む。成田に着いたら叔母の家に寄ってから帰るからだ。叔母はずっと元気に行動していたけど、かなり疲れが溜まっているだろう。なんと言っても80歳なのだから。少しでも荷物を減らしてあげたいな、と思ったのもあって、ケースはかなり大きいのをレンタルしたのだった。叔母の荷物を入れてもまだ余裕がある。いいのだ。飛行機の乗り換え地で買い物をするので、成田に着いてからそれらを詰め込める計画なのだ。
そんなこんなでラストの朝食。
最終日まで毎日変わらないメニュー。ハム類が美味しかったので許せてしまうのだった。
叔母の盛り付けが相変わらず綺麗である…さすが元丸の内OL。
食後、スーツケースを持って集合。バスに乗ると初日に同乗した日本人ガイドさんが来ていた。なんでも出国の税関手続きなども手伝うそうだ。ハトは高価な物は買わないのでちょっと驚く。(海外団体旅行の参加経験がないためかも)
空港までは20分くらいだった。ツアコン氏は到着時もそうだったがずっと喋っていた。話が面白い人だったので楽しく聞けてしまう。今回の旅ではツアコンさんとご一緒させてもらうことが多かった。楽しそうだけど大変なお仕事なのだな、と思った。ハトは旅行が大好きでそういった仕事に憧れていたけど若い頃はHSP的ビビリに加えて性格的にオドオドしていたし、ISBもあったのでつまり…ハトは旅行業界で無くて今の仕事で正解だったのだ。このタイミングでそんなことを改めて感じたのがなんだか不思議だった。
エル・プラット空港に到着。眠い。
噂には聞いていたが、どこのカウンターも呆れるほど混んでいる。
フィンエアーも同じで、並ぶこと1時間以上。空港内の免税店を覗き回る時間ははとんどなくなってしまったものの、しつこく覗き回る。
レジで長蛇の列が出来上がっていたので買うことはならなかった。
搭乗口へ移動する。到着時は夜だったのと嵐だったので外は見えなかったのだ。
空港の風景はどこも似たようなものだけど、非日常感がたまらない。
こっちの方向が市内のはず…
機内に乗り込むと半数は日本人だったような…
ハトの隣に座った人も日本人だった。窓際のハトと同年代に見えるその女の人は関西方面に帰るのだという。もしかしたら日程的に一緒なのかもと思ったら、ビンゴ。バルセロナの到着便も一緒であった。嵐の中の遅れた到着で、彼女とお友達はホテルの迎えの車が帰ってしまっていたそう。個人旅行で出迎えを頼むとこういうこともあるのかと、学習。
ハトの逆の隣の席は叔母ではなく、メンバーの若い人が座っていたので(席がバラけてしまっていたため)「娘さんと?」と聞かれてしまう。そうか……世間からはそう見えるのだな、と苦笑い。
関西彼女と話しているうちにヘルシンキからは東京行きと関空行きがほぼ同じ時刻に出発することが判明。航空業界も効率を考えているのだな、と思う。おそらく同じような時間にヨーロッパ各地からの便も到着するのだろう…だからターミナルがものすごく混むのね、と思う。
ヘルシンキの乗り換えで今度こそムーミンカフェへ寄りたかったけど、やはり混雑から出国に時間がかかった。
買い物がしたかったので、涙を飲んで通り過ぎる。(機内用の水だけ買ったが別にムーミンの絵がついているわけではなかった)
買い物。
マリメッコにて飲み友のリクエストの食器。免税の時間が無いので価格的にどうかな、と思ったのだが、それでも日本にてネットで買うよりお得であったので、買い。
仕事場スタッフ用。仕事場の永年勤続の褒賞ということで来ているので仕事場には買っていかないとまずいであろう…行きの機内で感動したフィンランドのチョコを大量に。
叔母も知人に配る用だと言って10箱買った。
チョコも大量になると重いものだと知る…
東京行きの便ではメンバーばらけずに座れ、満席でなかったため(80%くらい)、楽な気分で帰って来れた。ただ、空いていると寒い…
ハトは隣が空き席だったので、隣の席のブランケットも使えたし横になって寝たりが出来て本当に良かった。
寝ては、食べる。
機内食は飛行機内で食べることが楽しいので美味しくいただく。
機内食は食事代として別料金として表記されていないけど、別に頼むと5000円くらいするらしい(←未確認情報)
それにしてもおかずに蕎麦がついているのが笑える。数少ない体験しかないけど、日本行きは蕎麦がお約束なのかもしれない。
爆睡を重ねる。
東京に近づいたので、朝食。ということで起こされる。
無事に成田に到着。1/27の朝10時ごろであった。
会社の永年勤続褒賞の団体旅行だったが特に解散式はしなかった。成田が混雑しすぎていることもあったし、ハトが団長だけど本社の人の出迎えもないので、昨日の夕食会でそういうことにしてしまったのだった。
なのでメンバーとどころかSちゃんとも真っとうにお別れを言えなかった。
もちろん、ツアコンさんの姿もいつの間にか人波に消えていた…
スーツケースを受け取り、人があまりいないところで堂々と開けてヘルシンキで買ったものを入れる。
スーツケースの動きが悪いので、カートに載せた。
海外用WiFiを返却する。返却ポストに入れるだけなのであっけない。
ユーロの小銭を小銭両替の機械で日本円に替える、が、これは機械の読み取りがおかしくて出来なかった。同じ機会が東京駅や横浜駅にあるので、後日再チャレンジする。
仕事場からガンガン連絡が入ってきたので、やっと本社に帰国報告。もしかしたらツアコン氏の報告が先に入っていたかもな。スーツケース受け取る前に報告すれば良かったのだな、と反省。
いよいよ帰宅。京成線に向かう。
エスカレーターの近くに係員さんがいて、エレベーターの場所を聞いたら「このエスカレーターで改札階まで行ける、カートも乗せられるし、カートは改札を過ぎるまで使える」とのこと。
係員さんはカートをエスカレーターに載せてくれた。
あんなに重い物体が転がり落ちずに乗っている。
船橋を経由して叔母の家へ寄り、叔母の荷物とチョコをスーツケースから出す。
ひと息入れたいところだが、スーツケースの返却の集荷の時間もあるのですぐにハト宅へ。
ハト宅へ到着はなんだかんだで15時過ぎていた。集荷の時刻は16:00〜18:00。
大急ぎで荷物を出していく。
白系のケースだったので、やはり汚れがついている。レンタル品とは言え、マジックリンで外側についた汚れを落とす。
返却前にスーツケースの記念撮影。
16:00ぴったりにヤマトさんの集荷が来た。なかなかのギリギリセーフ。
あっけなくスーツケースは目の前から消え去っていった。
そう。
これにて今回の旅は終わり。
明日から何事もなかったようにいつもの日々が始まるのだ。
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この旅行から半年が経った。
その間にコロナは世界中に広まり、私たちは想像もつかない未来の時間軸を生きることとなった。
海外旅行がお手軽な時代になったのに、却って遠くなったような感じがする。
お手軽に海外へ行くるというのは、奇跡的なことだったのだろう。
やはり旅はご縁とタイミングなのだ。
行ける時と行きたい時こそが“そのトキ”。
ハトは次回の“そのトキ”を楽しみに待とうと思う。
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2024年8月29日追記
これにて〈過去シリーズ、2020年1月バルセロナ〉は終了である。
今回図らずも見直してみて、旅を再びなぞるような感じがして楽しかった。
ほとんど当時のまま(コピペ)であるが、誤字脱字、説明不十分の箇所は手を入れた。
もっとも、元の場所から一気に引っ越せなかったので写真は後から改めて貼り直している。
このバルセロナ記をnoteに移動させてようと思い立ったのは、元の場所を閉鎖する予定だったからである。
そう計画した直後にこの旅に同行した叔母が急にこの世から旅立ってしまった。
ハトにとってこのシリーズの引越しは叔母への気持ちを整える時間でもあった。