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2024 お祭りの京都の旅・3 平安神宮神苑

2024年5月15〜16に京都へ旅をした。
これまでの3回の京都旅にて大好きな重森三玲のお庭を一通り見終えてこの5月は行かなくてもいいかなとも思っていたのだ。
ところが母の事が済んで、間を置かずに伯母の事が始まり、埃だらけの中で沢山のモノを捨て続ける作業に心が疲弊してしまったのだ。

「美」を見なくては。心に養分を与えなくては。

“雪舟”を観よう。その展覧会は東京での開催は無いのだ。
その他どこかのお庭も観よう。
だからこそ今回も京都。
もう、いっそのこと5月と11月には京都を訪れることに決めてしまおうか。


時刻は08:45。神苑を拝観する。

グループがスタートするのを一呼吸待ってから入苑。

大人の入場料は600円
南神苑の片隅、引退した路面電車の車両が展示されている
奥に建物には鴟尾!!


アレは生き物だったのか?知らなかったーというわけでググってみたら“鳥の尾の形の飾り”と。だから“尾”なのか。それにしても頭部も作られていてしかも口(嘴か?)で屋根のてっぺんの横材部分を(名称不明)を咥えとる…
調べを続けると鴟尾の鴟はトンビのことだそうで。しかし他には魚が水面から飛び上がって尾を水面上に出した姿を具象化したもの、ともあった。屋根の上面が水面を表し、それより下は水中だから燃えない、という火除けでもあるらしい。その他には屋根の上部の端を反り返らせるデザインっだったものが変化した形とか。鳳凰を形どった、という記述も。他にも沓形ともいうらしいこともわかった。
ハトは鴟尾については“かわいいから”好きなのであるが、関東圏にその装飾が少ないから珍しいというのもある。


南神苑は桜がメインということなので、時期が過ぎているからさらっと過ぎようとしたら、たくさんの植物が植えられていて、しかも説明書がほとんどの植物に付けられていて、さながら植物園のよう。
説明書にはその植物名だけではなく、日本の古い文学の作品中の登場箇所など紹介されている。
興味深く読んでいたらなかなか時間が掛かった。

アヤメ
ツワブキ!



たくさんの植物たちを堪能しながら歩みを進めるとふと目の前が開けた。西神苑エリアに出たのだ。

花菖蒲の時期には早かったらしく
蓮も咲いていた
ここの池は“白虎池”
池の外側はこんな感じ
ズーーーーーム
入ってきた側を望む
ピンクの蓮も

西神苑ではお庭の手入れの方々が作業していた。池の繋がる。たくさんの落ち葉などが溜まっている水路のお手入れ中だった。ハトは平日観光だからお手入れの方々もよく見かけるが、ホント、美しさとはお手入れがあってのこそだし、お手入れの手間はなかなかな労力であるといつも思う。


西神苑を通り抜け、水路と木立で構成された地味めで静かに思索を巡らせることの出来るのエリアを通る。とはいえ、狭いエリアで、すぐ外側は道路なのだが水路に流れる水の音が心地よい。写真は撮り忘れた。ここが本殿の裏手であったとは、後から知った。



木立を抜け、明るい場所に出てきた。
奥に大きな池が見える。中神苑だ。

圧倒的な緑色の中、映える紫色
杜若(応天門脇の案内による)
赤い色と紫色と水面と、と欲張ってフレームに入れてみたものの、SE2ではこれが限界
藤棚。こちらも季節外れ。
臥龍橋
もちろん、渡る
“橋”の途中で
同じく“橋”の途中から
お茶屋さん、あったのだな
振り返って
蓮と杜若
臥龍橋の後半
臥龍橋を渡り終わって順路を進むと右手に小さな石橋が
茶店の前から“蒼龍池”を眺める
茶店の前に
確かに鶴のような
花は小ぶりな気がする
花びらの先端が鋭くなっているのとあまり垂れ下がっていなくてスッと伸びているのが折鶴を思わせる


2回目(笑)
この松はいつからこのフォルムなのだろう


平安神宮神苑はハトが訪れていたかったお庭のひとつである。ここのお庭の存在を知ったのは昨年、婦人画報か家庭画報かどちらかの(いづれにしてもマダム向けの雑誌)京都特集で知ったのだった。それまで平安神宮に対して興味が無かったのに急に方向転換。重森三玲巡りが終わったら、と思っていたのだ。画報では役者さんが尚美館からお庭を眺めていたのだけどな。

さて、お庭は明治の造園家、7代目小川治兵衛らによるもの。
明治〜大正期の名庭師。
明治28年(1895年)に平安神宮とともに創建。昭和50年(1975年)に国の名勝指定。ハトにとっては国の名勝はまだよくわからない。いくつか拝観しただけの感想だと「思ったより、地味。」しかしどの眺めも時間をかけて見ているうちに、じわじわと気分が良く成ってくるのだ。心が洗われるというのか。素材がいい料理を食した時のような。

左手奥には地主社が。
円形の石と円形の蓮の葉
臥龍橋は真ん中に島がある。
 “珊瑚島”
島側から橋を振り返る。
チケットを一緒に写し込むにトライ
ウメ
ウメの実が成っていた
島から橋の後半
実は“橋”ではなくて、“沢渡”というのだそう。
天正年間(1537〜1592)の三条・五条大橋の橋桁や梁が使われている




今度は茶屋の方へは進まず、先へと進む。
水路の幅がこれまでより広くなり、明るい雰囲気。
クライマックスを予感させるような、まるで何かの物語を読み進めているような。
いよいよ東神苑だ。

せせらぎの音が良き
目の前に広がる、桃源郷
橋。“太平閣”
リフレクション度合いは今ひとつ。
池の名前は“栖鳳池(せいほういけ)”
貴賓館である“尚美館”
鶴と亀も
太平閣。もちろん渡る。(渡らないと出られないかも)
コレが載っている(相変わらず名称不明)
 鬼瓦、だと思うのだが…
ということは、格が高い建物ってことだろうか?
東神苑に入ってきた方向を望む。
真ん中の柱の向こうに亀島、
その右に鶴島


太平閣の中ほど。
見渡しやすいようにか、迫り出した部分がある。東福寺の臥雲橋を思い出す。まさかとは思うが貴人達へのもてなしとして鯉の餌やりアトラクションのためなのかと妄想する。
というのも、以前、東京の赤坂迎賓館の和風別館を見学した時そのような説明があったからだ。和風別館は池に迫り出すように造られ、窓の下に池が入り込んでいるのだ。海外からの要人にはとても好評(鯉の餌やり)とのこと。庭の向こうからの撮影が許される為、私たちも報道されれば見かける一角でもある。

そんな事より、ダブル角っこに打ち震える、ハト
渡り終えて。
あの船は?
ふと気がついたのだが、2階部分?にはどうやって上るのだろう。

この太平閣、橋というより、“橋殿”と呼ぶらしく。“橋殿”とは屋根付きの橋ということだそう。

謎の建物
一際大きな、アレ


神苑を全て見終わって、ハトが気に入ったのは中神苑(臥龍橋のあるお庭)。4つの庭の中で最も動きを感じたからだ。
最後に逆走してもう一回見たいとも思ったが、何しろ足が痛く、この先のスケジュールとの兼ね合いで断念。

神苑を後にし、もう一度外拝殿あたりをさらっと拝観。
朝より参拝客や修学旅行生が増えている。



時刻は10:10。京セラ美術館もオープンしたことだし、村上隆を拝観しよう。

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