〈過去シリーズ〉2020年1月コロナ禍直前のバルセロナ10 サグラダファミリア外側と
この〈過去シリーズ〉2020年バルセロナは当時他所で公開していた記事である。
note開設してあっという間に2年、この度(旅だけに)やっと引っ越し敢行となった。作業終了次第、元の場所は閉鎖する算段である
そもそもnoteを始めたのはハト自身がそうであるところのHSS型HSPの情報を書くこととしていたのだけれども、あっという間に飽きてしまったので「自分だけの楽しみために書こう」とあっさり方向転換をして旅の記録をメインに書くことにして今に至る。
noteの正しい扱い方とかわからないままだし、書くことで精一杯なので気の効いたコメントなど滅多に書き込めないままだが旅のことを書くのは楽しく、特に京都旅は前知識をほとんど入れず、見て感じる優先で後から復習しながら書いていると、とても面白いのだ(それでアップするまで毎度だらだらになってしまうのだが、行かない間も京都に行っているようでなんだか良い感じではある)
話が脱線してしまった。
バルセロナ記である。タイトル通り、2020年1月の、いわゆるコロナ禍直前の旅の記録だ。
他所でアップしていたため、今のハトと語調が若干違うが、そこはご愛嬌で。
また、当時から5年近くも経っているため情報が古すぎるところもご愛嬌で。
バルセロナ10:初公開日:2020年7月21日
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2020年1月。コロナ騒ぎはまだ中国だけの話だった頃。
1/20〜1/27の8日間、バルセロナへ行って来た。
コロナ休暇が終わる前にその旅行記を書いておこうと思った。
が、休暇が突如終わってしまった。これからは普通の休日にてのんびりと綴っていく。
ところがのんびりすぎて7月に突入。隣宅で建て替え工事が始まり、音の衝撃でエネルギーダウンしているため(HSP発動)思うように文章がまとまらない。なのに書きたい思いは爆走するHSSも同時に発動。この両極でますますエネルギーダウンしていくのだが、回復するためには無理やりでもHSS的行動とった方が良いようだ。←あくまでハトの場合かも。
などと言いつつも結局体調が悪化。隣宅の工事音に続き、気候の寒暖差でノックダウン。
HSS的行動さえできなくなってしまった。なのでこの記事はだらだらと長い時間をかけて完成させている。(前回からちょうど1ヶ月だ…)
1/25。バルセロナ滞在の実質最終日。
旅行の日程的には明日までのなのだが、明日は空港に向かうだけなのだ。残念ながら晴天とはならず、曇り空になってしまった。まあ。初日の嵐天よりは全然よろしい。
今日はサクラダファミリアの外側を観に行く。初日に入場はしたものの、荒天すぎてゆっくり外側を観ていられなかったからだ。もっとも入場料のかかる柵の内側からでは外側を見るのは危険すぎる。首が痛くなってしまうのだ。
いつものように朝食バイキングでハマっているメニューを食す。
ホテルの部屋からの眺めはイマイチだったが、写真を撮る。バルセロナらしい交差点。
反対側(海側)の景色はなんと墓地であった。日本のソレととても違うので言われないと気が付かないかもしれない。墓地の向こう側がビーチというのが面白い。しかも墓地の市街地寄りにはオリンピックの元選手村がある。きっとその昔のこの場所は“郊外”だったのだろう。
サクラダファミリア外観
すっかりおなじみの4号線に乗り、Verdaguer(ベルダゲル)駅で5号線に乗り換え次の駅のSagrada Familia駅で降りる。階段を上るとすぐに迫力ある景色が目の前に現れる。“生誕の門”だ。
既にたくさんの観光客が押し寄せている。生誕の門の方が人気があるのだ。実際、ハトもどちらかと言えばこちらの方が好き。ガウディ氏の時代の名残があるし、単純にデザインが好きなのだ。装飾過剰なのがいい。なんといっても鳩達の飾り付け(彫刻)もある。
池があるガウディ広場から。“逆さサグラダ”を撮りたかったが、他人様たくさんすぎて断念。
生誕の門を正面として、反時計回りに見物していく
栄光の門はどんなデザインになるのだろう、楽しみである。ハト個人的には受難の門寄りのデザインになるのではないかと思っている。さらには軽やかで、優しく(あくまでもバルセロナ的に)それでいて平和の概念をアップデートして提示するような、そんな感じかも、とも思う。正面の扉は既に出来上がっていて、50カ国以上の言語で大切な言葉が記されている。コロニアグエル教会の門とかなり似ている。
ぐるっと一周したら1時間くらい経ってしまった。
ここの交差点にその昔に利用したカフェがまだあった。ガウディ氏の建築物の目の前なのにカフェの名は“ピカソ”。テラス席ででサグラダを見ながらコーヒーを頂いたものだ。同じ店がまだあって嬉しい。
休憩はと聞くと二人ともまだいいと言う。タフだ。
そこで次なる見学ポイントへ。
ガウディ通りを進む。この道はサグラダから斜めに配置されている道路で、サグラダの塔の全景を写真に収めやすい。サグラダが完成したら、ここからしか全景を入れられなくなるのかもと思われる。そんなガウディ通りだが、団体観光客はこちらまで来ないし冬だしランチには時間がまだ早すぎるしでとっても空いていた。
サン・パウ病院も外観のみの見物
その通りを進んで行くと、突き当たりにはサンパウ病院がある。
これらの病棟群はほんのちょっと前まで本当に使ったのだそう。病院という場所はは本来はお世話になりたくない場所だが、こんな素敵なデザインの病院であるなら不安になりがちな気持ちを和らいだことだったと思う。
サンパウ病院を右回りに進む。ここのブロックはとても大きく、3ブロック分の大きさがある。真後ろに位置する地下鉄駅までゆっくり歩いて20分はかかったから、入口から1kmぐらい歩いたのだろう。最後はなかなか急な坂道を登った。現在のサンパウ病院の入り口はこちら側のようだ。こちら側には近代的な建物群が並んでいた。
再び地下鉄に乗る。おなじみの4号線に乗って、ウルキナオナ(Urquinaona)駅で降りる。電車を待つ間と車内で座れてしまったので、ちょっとした休憩状態になってしまった。なのでここでも休憩をとらず、次の目的地へ。
モネンタールの作品をもう一つ。カタルーニャ音楽堂も外側のみの見物
ウルキナオナの駅を出て5分も歩かないところにカタルーニャ音楽堂がある。この建物も先に見た、サンパウ病院と同じくモネンタールの作品。
ここも見学できるがまたしてもハト達は外側だけ。ただし、カフェがあるため、内部は一部入場が可能なので、遠慮なく入る。
それにしてもこんなに細い道の街中に建っているのだ。せっかくの素敵な建物で繊細な装飾がされているのに、よく見えないじゃないか、と思う。バルセロナの旧市街は敵の侵入を防ぐため道が狭いのだ。だから当時の人々はこれでも何も疑問に感じなかったのかもしれない。
el Fornetで休憩
カタルーニャ音楽堂の外側の見学は20分も掛からなかったが、流石に一息入れたくなってきた。
そこでガイドブックやツアコンさんおすすめのカフェに入る。
『el Fornet』というカフェだ。チェーン店のカフェで、市内あちこちにある。日本で言ったらドトールみたいな感じ。メニューはドトールより充実している。ハト達はコルテ脇の店に行った。覗いてみると空いていて、空きテーブルが見えた。チャンスだ。
バルセロナに限らず、スペインのカフェはコーヒーのメニューがありすぎるので、「カフェオレでいいかしら?」とSちゃんと伯母に聞いてしまう。ホワイトチョコ掛けのパルミエはSちゃんの注文だ。店頭にデニッシュパン類が並んでいて、この大きさに心を奪われた模様。
ハトもこれまでのスペイン滞在中に何度もデカいデニッシュパンにかぶりついている。強烈に甘すぎるが、慣れてくるとこれぐらい甘くないと食べた気がしなくなる、恐ろしい食べ物だ。…と言いつつもSちゃんは3分の二くらい食べてギブアップ。ハトは残りをついばむ。
甘過ぎに慣れてしまうことに関しては同意していた…
カフェで小一時間休憩して、次はコルテに行く。お土産の物色だ。
El Corte Ingles、デパートの食料品売り場へ
そもそもそんなにお土産を買う予定は3人とも無いのだが、コルテの1階(地下1階?)はいわば“デパ地下”。
その中に入っているスーパーマーケットはいわば“成城石井”。
買わずとも入って見るのは楽しい。
混んでいるので小心者のハトは店内の写真は撮らず…
コルテでワインでも買おうか、とも思ったけど、持って帰る重さを考えてやめてしまった。
結局買ったものは、パリア用のお米(SOSと書いてあるパッケージ)とB級の味わいのパテ類。イベリコ豚のパテ(左の黒いの)はイオンでも売っているけど、超お安かったので購入。B級の味わい、と書くと失礼な感じだけど、好きなのである。本格派はそれなりのワインを用意したくなってしまうが、B級は日本のパンにがっつり乗せておやつがわりに食べられるところがいい。
パエリアの素も買う。…正直これは日本で売っているターメリックとコンソメの方が美味しい。が、こう言ったものを使うとほのかに外国の香りが付くので好きなのだ。ハトはコンソメなどを足して使う。
ボケリア、三度目
次に向かったのはボケリア市場。
Sちゃんの目的のものを買うのだ。
目的のもの、それは『BARCELONA』と書いてあるエプロン。ボケリア市場の案内所で売られているのだが、一昨日来た時は営業時間が終わっていたため、買えなかったのだった。本日、ようやく入手。3枚も買っていた。観光地ものだが、なかなかのデザインで、実用に向いている。しかもお買い上げ金額が、ということで、市場のロゴ入りのエコバックに入れてもらっていた。ハトはこのエコバッグが一番お土産グッズとして良いな、と思った。買えば良かったと、今さら思っている。
市場は相変わらず観光客で溢れかえっている。特に修学旅行か?と思うような学生風のグループがウヨウヨしていた。
ハムは夕食会で食べるからと、買わなかった。
正直、どちらも「美味しいいいい」ではなかった。残念。市場での食べ歩きという雰囲気は味わえた。
そもそもハトもSちゃんも人混みは苦手である。叔母は平気そうだが、混雑しすぎて落ち着け無い感じになってきた。なので食べ終わったので市場脱出。雨の初日くらいの混雑加減ぐらいが良かったね、と言いあいながら市場を出る。
最後にランブラスをちょっと歩く。ハトは何だか泣きそうになる。
大好きなフェラン通り。
最後に歴史的な場所を訪れる
カテドラル脇(正面から向かって左)の道。ここは短いながらも雰囲気たっぷりの場所。
そこにあるフレデリック・マレー美術館の中庭を覗く。ここの美術館は今回は来なかった。なぜなら…マニアック過ぎるから。ハトは好きだけど、わざわざバルセロナでみるものかどうか・・・と言ったところ。美術館というより骨董館みたいな感じだ。ハトは好きだけど。(2回言う)観光として鑑賞するのは外側がいいかも。
ウエディングドレスの後ろ姿が見えた。撮影をしているようだ。
フレデリック・マレー美術館の中庭を見て、次に“王の広場”へ。
初日に来ようとしたけど、どうにも道が分からなくて来れなかったのだ。来てどうと言う場所では無いが(笑)。コロンブスが航海を終えて当時のスペイン王に報告したのがこの広場と言われている。
札幌の時計台並みのがっかり観光地なのだが、びっくりポイントは先のフレデリック・マレー美術館といい、ここが当時の王宮だったと言うこと。意外と小さい。そして外壁(隔壁?)が無い…唐突に街中にある感じがする。もっともローマ時代の遺跡が地下に眠っているので(行かなかったが)ローマ時代には壁で囲まれていたはずの場所なのだ。ローマ時代の壁は一部残っているのはちょっと離れた場所でみることができる。小さな王宮だが、当時としては大きくて立派な建物だったのだろう。
とはいえ、やはり修復が綺麗になされていて、古さを感じない。
あ、撮影カップルだ。
動画と写真のカメラマンが。
それにしてもウエディングドレスで外で撮影って、日本ではあまりしないよな。そもそも、レンタルだから泥汚れは付けられない。こちらの人はドレスは当たり前に自前なので、汚れを気にせず撮影を楽しんでいる。遠くから見ると裾がドロドロでも見えないものなんだな、と思う。
これで旅行としての自由時間はほぼ終了。時刻は15:00
本当によく歩き、たくさんのものを見た。
夕食を充実させてしまったため、ランチが極軽になってしまったし、本当はカフェタイムをもすこし入れた方が良かったのかもしれない。
おまけに雑貨屋や洋服屋などのショップにほとんど立ち寄らなかった。
ハトは旅行ではどうしてもあちこち見たくなってしまう。
それに雑貨や服はグローバル化が世界中に行き渡った今、バルセロナで買う意味が薄いと感じるのだ。
食べ物系のお土産でさえ、そんな感じがする。
だから制限時間いっぱいまで見ることをしたいし、その土地の空気を思い切り味わいたいのだ。
もしも今回の旅行を一人で参加していたら、カフェでまったり、な時間も過ごし方だっただろう。しかし叔母も一緒に行くことになり、ご縁あって現地ではSちゃんともまわる事になった。二人ともバルセロナは初めてだったので、3人で“ザ・観光”となったが、同じところに行って、同じものを見ても、バルセロナの街はやはり涙が出るほど感動するし、「また来ます」と心から思えてしまうのだ。
すっかりおなじみになった、ジャウマ・プリメ(JAUMA 1)駅から地下鉄に乗り、ホテルへ帰る。
夕食会の集合は18:30。荷物のパッキングをして体力あったらホテル最寄りのショッピングセンターを覗く予定なのだ(笑)。
2024注:いよいよ次回がバルセロナシリーズ最終回。
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