ママ、今日ね、鉄棒頑張ったんだよ
休日、4歳になったばかりの娘と近所の公園に行きました。行き慣れている公園です。どこにどんな遊具があるのか、遊具の遊び方などは熟知しています。ひとしきり遊んだ後、ベンチで休憩。
慣れた公園ですが、娘は父親の私が近くにいないとなかなか遊ぶことができなかったのです。見知らぬ子がたくさんいる。1人では怖くてできない。おそらくこのような理由なのだと思います。しかしこの日は私が少し離れても、おそるおそる遊具の階段を上り、高い場所から眼下の私に手を振ることができました。
「今度は1人で遊んでみたら?」
私は試しにこう言ってみました。すると娘は飲みかけのリンゴジュースを私に手渡すと、目の前の雲梯へと進み出したのです。
これだけで、私にとっては娘の大きな成長だと感じていました。
娘は雲梯の前で、空を見上げるように数秒立ち止まりました。そして足を震わせながら、雲梯につかまるためにハシゴを登り始めました。一歩、足をかけ、もう一歩かけようとしたのですが、自分の体のバランスを保つ方法が見つからず、そのまま止まってしまいました。
足の震えはどんどん増していきます。どうしていいか分からず、私の方を見つめました。
私は、すぐにでも駆け寄って、娘を抱きかかえたい気持ちをこらえ、笑顔で「大丈夫」と口だけ動かしました。今にも泣き出しそうな娘。意を決して、ハシゴの上で立ち上がろうとした瞬間、バランスを崩し落ちてしまいました。
ああ、やっぱり雲梯は難しいよな。と思い、私が立ち上がろうとした時、娘の方が先に立ち、もう一度登り始めたのです。
娘は今、自分と戦っている。今日は、とことん見守ってみよう。
親として、この決断は難しく苦しいものでした。
2度目のチャレンジを始めた娘は、1回目同様、ハシゴに足をかけて立ち上がることができません。その横を、小学生の子が、するすると登り、パッパと雲梯をしていきました。その様子を見ていた娘。何か感じた様子で、雲梯の支柱に手を回し、体重を預けながら立つことができたのです。そして今度は、私の方を見ることなく、雲梯棒に手をかけました。
しかし今度は、その状態で足をハシゴからはずし、ぶら下がることができません。右足をはずし・・・、戻し、今度は左足をはずし・・・戻し・・。
おそらく5分ほどの短い時間だっと思います。しかし、その時間が私にはとてつもなく長く感じました。「頑張れ!」「大丈夫!」「助けたい」「落ちたら」等と、色々な感情が渦を巻いて私の頭を駆け巡りました。
その瞬間、娘の両足がハシゴからはずされ、娘は雲梯棒にぶら下がったのです。一瞬の出来事でした。足は元のハシゴに戻り、娘は支柱をつかんでハシゴを下りました。
満面の笑みで私の元へ駆け寄る娘。娘にとって、この数分間はとてつもなく大きな挑戦だったのでしょう。そして、自分の満足いくところまで成し遂げたのでしょう。
私は「たくさん頑張ったね。よく諦めなかったね。〇〇が頑張ったことと、諦めなかったことが、お父さんは嬉しかったよ。」と伝え、娘とハイタッチしました。
家に帰るとすぐ、娘は母親のところに駆け寄りこう言いました。
「ママ、あのね、今日ね、一人で鉄棒(雲梯のこと)頑張ったんだよ。」
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