清掃指導って,意外と奥が深いかも
教師なら,そのほとんどの方が行う清掃指導。私の勤める学校では,朝の清掃活動(ボランティア)がある。早めに登校した子が,教室の清掃をするというものだ。
私はその時間,上級生の委員会活動(屋外活動)に付き添うため教室を空けている。しかし昨日・今日は雨天のため教室にいた。すると,これまで見えていなかったことが見えてきた。
まず活動時刻になると数名の女子がほうきを手に掃除を始める。それに数名の男子が続く。教室には様々な子がいた。前日できなかった宿題をやっている子。黙々と読書をしている子。友達とゲームの話で盛り上がっている子。
その間を,ほうきは行き来していた。
いろいろなことを言いたくなったが,少し観察を続けることにした。
すると,ほうきをしている子は,実に楽しそうな表情をしている。宿題をしている子は,ごめんねと片手をあげるしぐさをしている。ゲームの話で盛り上がっていた子の近くにほうきがやってくると,通りやすいように体の位置を変えている。
ばらばらに見えていた光景が,実は繋がっていると感じ始めた。
やみくもに「掃除しなさい」「がんばっている子がいるでしょ」等と言えなくなってしまった。いや,言わなかったのが良かったのか・・・。なぜなら,誰も不幸になっていないのだ。
「先生が叱るときは,人格を否定した時と命に係わる行為をした時だよ」
とは,子供たちに出会った日に伝えたことだ。今日の朝の活動はそれに該当しないように感じたのだ。
そこで朝に清掃をさせる目的を考えてみることにした。教室をきれいにすること,ボランティア精神を養うこと,学校のルール等いくつか考えることができた。ただ,それらを意識してやっている子供や教師はどれくらいいるのだろうか。特に教師の立場で考えたとき,朝に清掃をさせるのは子供が無駄に遊ばないようにするための,いわば「管理のため」ということが大きいかもしれない。そんな中で子供を叱ってしまったら,子供にとってプラスに働くのだろうか。
誰も不幸になっていない ということは幸せってわけでもない
だったら,みんなが幸せになれるような朝の活動を子供たちと考えていこう
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