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触れたら虚像 | 短編小説

ごめ、飲みすぎた。へへ。

ねえ、かえれない、おれ。ついてきてよお、いえまで。


彼の手には、途中のコンビニで買ったミネラルウォーターと二日酔い防止の栄養ドリンクが入っていた、ビニール袋。持ち手をそれぞれ両耳にかけて、

みてえ~、これでいつでも吐ける、かっきてき。

なんて言っている姿を見れば、誰が見ても帰れない程酔っ払っているのも頷けるだろう。
ごめ、なんてこれっぽっちも謝罪の意を感じない口ぶりの彼の足元はおぼついていて、その腕はわたしの腕に絡みついてくる。
漂うのは、ムスクがベースのいつもの香水ではなくて、アルコールとたばこの匂い。飲み会で席が離れていたとはいえ、どれだけ飲んだのかは想像に容易い。彼自身はたばこを吸わないからか、周りの喫煙者によって染みついたその匂いに、なんだかむずがゆくなる。舌ったらずで間抜けなその声と、たばこの匂いはあまりにもミスマッチだ。


ちょっとお、おれにくっつきすぎじゃなあい?

いや、一人で歩けてないから支えてあげてるんだけどね。

ええ、?歩けてるよ、おれ、ほら。

ちょ、まってまってやめて、そっち危ないからやめて、ほんとに

も~~、しょうがないなあ

こっちのセリフね。それ。


自分より一回りも二回りも大きい体を支えるのは容易くない。いたずらに離れる彼を止めるために、ぐ、と体を引き寄せたまま、その手を腰に回した。
え~、なに、ハグ?なんてふざけてすり寄ってくるから、彼の頭をぐーにした拳で押しのける。俗に言う、だる絡みというやつである。面倒くさいことこの上ない。


あ、まってまってきもちわるいから、それ、ぐらぐらするから

うるさい、大人しくしてて

ねえ、ここどこらへん?いえは?

もうすぐ着くから、ほら


あたりをきょろきょろと見回していたけれど、アルコールの回りに回った頭ではその景色を把握できないと思ったようだ。大人しくなった彼は、わたしの方にその頭を預けて静かに項垂れる。

想いを寄せている人なわけでもない、ただの友達に何でここまでしなければいけないのか。彼だって、思いを寄せている先輩が今日の飲み会にいたはずだ。
どうせなら、後輩という肩書きにかこつけて甘えてしまえばよかったのに。帰れませ~ん、ちょっと休みたいです~、って。
と思ったけれど、自分の好きな人にはこんなぐだぐだに酔っぱらった姿を見せたくないのは正直共感できる。わたしでも、無理。寧ろ、こんな状態になっているのに、そこの判断ができたのは褒められるというべきか。
とはいえ、自分がここまで介抱してやる義理はあるのか。優しさなのか、ただの世話焼きなのか、自分でもよくわからない。

いっそう体重をかけてきた彼をなんとか支えながら一歩、一歩と進むたびに、わたしの斜め上にある彼の頭はぐら、とわざとらしいくらいに前に倒れて、長い前髪が揺れる。


首、痛くないの?

、ん~?


わたしの目線に合わせて顔を覗き込んでくると、その長い前髪は重力に負けて隙間をつくった。その隙間から見えた、アルコールのせいでとろけた彼の目。いたずらに上がった口角とそこから漏れる、気の抜けるような、んふふ、といった笑い声に、なんだかいけないものを見てしまっているような気分になる。


ん、ねえ、近いってばあ。

あんたが近づいてきたんじゃん。

あれ、近くでみたら、あれ、なんかかわいくなった?

はいよ、ありがとう~。ほら、着いたよ、鍵は?

てれんなって~


と、ブルゾンのポケットやデニムのお尻のあたりをぺちぺちと叩く。ポケットの中に手を入れるまでに考えが及ばないのか、的外れに体を叩いているだけで中々見つからない。しまいにはTシャツを叩いているけれど、そこにはないと思うな。待ちきれなくなって、デニムの後ろポケットに手を突っ込むと、鍵は簡単に見つかった。

えっち~、

やかましいわ。

ちょ、いたい!鍵でささないで!


大げさに痛がる彼を無視して、自分の肩に彼の腕に回しながらなんとか鍵を開けて放り込むと、彼はテディベアのように玄関に座り込んだ。サイズ感的には、某海外系の大型スーパーに並んでいるものと大差はないと思う。そんな可愛いものではないけれど。じゃあ、ちゃんとベッドで寝なよ、と声を掛けて、開いたままの玄関を跨ごうと背を向ける。と、服の裾をかすかに引っ張られる感覚に気付く。もちろん、そんなことをするのは彼しかいない。

何?

ねえ、ベッドまでつれてって。

いや...さすがに無理だって。もう行けるでしょ。すぐそこだよ。

え~、だって、くつもぬげないし、ほら。


目線を彼の靴に向けると、それは彼の言う通り、酔っ払いには少々脱ぐのが難しいような靴だった。足首まで紐が編み込まれているブーツである。彼の大好きなドクターマーチンの、8ホール。

ドクターマーチンのブーツは紐を通す穴の数をホールって呼んで、そのブーツの長さであれするんだよ。これは、ほら、1、2、3...って意気揚々と話していた彼は、出会って間も無い頃だったと思う。わざと最後まで聞いた後、知ってるよ、それ。ほら。とわたしもその時履いていたドクターマーチンの3ホールを指差した瞬間は、二人で笑い転げた。おれ、めっちゃ恥ずかしいやつじゃん…とぼそり溢した彼が面白くてまた声を上げて笑うと、も〜、と頬を軽く膨らませるようにしていた彼もまた笑いを抑えきれずに、顔を見合わせてお互いに肩を小突いたのだった。



お〜い、ぬがしてよ、と言いながら小首をかしげてわたしを見上げる彼は、急かすように足を伸ばしてくる。その足は、ただでさえ高身長な体の割合から見ても長く、すらっとしている。ねだるような目線と、けだるげに足を揺らす仕草になんだか無性に色気を感じて、勝手に試されている気分になってしまう。

と、一瞬でも考えてしまった自分に戸惑った。だからこそ、このまま放っておいてもどうしようもないし、なんて言い訳のようなものを頭の中で並べながら、しゃがみこんだ。
彼の靴に手をかけると、んへ、と満足気な様子が見える。単純なやつ。そうして、靴下だけになった足を自分の方に畳み込むと大きく両手を広げる。
そんな、さっきの色気とはうってかわって子供のような仕草に騙されるように、自分も靴を脱いで部屋に足を踏み入れた。

家まで送ってきたときと同じように彼を支えて、リビングに続くドアを開ける。
彼の様子からして、どうせすぐ寝落ちするんだろうし、望む通り寝室まで運んでやるのが彼にとってはいいんだろう。けれど、さすがにそれは憚られた。親しき中にも礼儀ありだし、と思う一方、どこかで男として意識しているみたいでなんだか馬鹿馬鹿しくも思う。リビングのソファに彼を降ろすと、明らかに不満をあらわにしている彼の顔が見えた。


ねえ、ソファじゃねれないタイプなの、おれ。

いや、さすがに良くないから。寝室は自分で行って。

え~、けち。

けちじゃないよ。
ねえ、帰ってこれたの誰のおかげだと思ってんの?いい加減帰るからね。

や~、ごめん。ねえ。怒んないで。


そう言って、座っているソファから手を伸ばして、わたしの手をつかんだ。そのまま駄々っ子のようにゆらゆらと揺らして、こちらの様子を伺っている。べつにいいよ、そこまで怒ってないから、は、声に出なかった。ぐ、と勢いよく引かれた手にバランスを崩したわたしは、腰に手を当てて引き寄せられるまま、彼の膝の上に着地することになる。

ごめんって、ありがとね?

もしかして、ここまで付き添ったのは失敗だっただろうか。と、ここで初めて思った。大して反省の意が込められているように感じない彼の謝罪を受け入れる言葉も出ないまま、とにかく離れようとして目を逸らす。とくに深い意味はない。ただ、このままではだめだと思ったのだ。

陳腐な表現ではあるけれど、夜の海のような黒い彼の瞳に、吸い込まれそうになった。

暗くてよく見えない足元に、触れるか触れないかのところまで静かに迫る波。よく見えないのにわかるのは、それを知っているから。触れたら、もう戻れない。濡れた足先には砂がまとわりついて、ずっと、ざらざらとした違和感だけがそこに残り続ける。背徳感、好奇心、それと、少しの後悔。
それなのに砂浜を歩くだけでは物足りなくなって、つい、その波に足先だけでも浸かりたくなってしまうのだ。

頬に彼の手が添えられる。熱の持っている手のひらは、アルコールのせいなのか、元から体温が高いのか。ただの友達であるわたしには、知る由もない。彼の手のひらの温度がわかるほどに触れたこともなければ、これからも触れることはないだろうと思っていたからだ。

それなのに、いま、その手はわたしの頬をゆっくりと滑っている。そしてわたしは逸らした目で、自然と彼の手を追っていた。名残惜しいと、言わんばかりに。
こんなときに、体は正直だね、なんていやらしいビデオの俳優が言うような嘘くさいセリフが思い浮かばれる。何で今。自分はこのまま、触れてほしいと思っているのだろうか。今度は手のひらに代わって頬を撫でる親指を未だ追う目、彼に掴まれたままでも抗わない手、固唾を飲んでしまう喉、はやる動悸、わたしのこの体が、正直だとは信じたくない。



なんで目、そらすの?





こっちむいてよ、




ねえ、まだ怒ってる?





ごめんってば、ねえ、帰ってもいいから、こっちみてよ、






ね?




彼は、頬に添えた手で無理やり顔を向けさせることなんてしない。それなのに、わたしは彼の目を見つめていた。自分の意思は弱いのか、いや、ある意味、本能的な意思は強いといえるのだろうか。かち合った視線は逸らせなくなって、もう、逆らう術もない。わたしは、その波に爪先を浸けてしまったのだ。だけど、近づいてくる顔には何も感じない。そこに深い意味なんてないのがわかっているから。だから、

わたしたち、友達だよね?
先輩のこと、好きなんじゃなかったっけ?
わたし、同級生に気になってる男の子いるんだけど、

なんて愚問は全部、自分から飲みこんだ。

そう、キスひとつで、こんなことを気にするほうがおかしいのだ。


お酒に飲まれているくせに、やけに優しく触れた唇は手のひらよりも熱い。そしてやっぱり、この唇の温度は彼の普段の体温なのか、熱に浮かされているのかはわからない。ただの友達であるわたしには、知る由もない。
頬に触れる手のもう一方、わたしの手を掴んでいた手が、耳の横、髪の隙間から差し込まれ、そ、と頭を包まれる。

キスひとつで変わることなんて、何一つないはずだ。
だから、そんなに優しく触れないで。


―――


ねえ、どうしたらいいと思う?どうしたら振り向いてくれんのかな~。先輩。おれのこと全然興味なさそうなんだよなあ、

あ~、何回も聞いたけどね、それ。

冷たくない?ねえ。どうしたら落とせるの?けっこうわかりやすいと思うんだけどな~おれ。
てか、お前はどうなの、最近。

わたしの話はいいって、それよりどうしたら落とせるかなんでしょ?

え~?いや、そうなんだけどさあ。


とはいえ、どうせ、答えは求めてないのもわかっている。小さな居酒屋で流れるように交わす会話に中身はない。彼の好きな人である先輩は他に好きな人がいるし、わたしの気になっている同級生はとにかく人気者だった。とくに、女の子から。
いつもなら、お互い報われないね、なんて言いながらジョッキを合わせるところだけど、今日ばかりはできそうになかった。

彼があの日のことを覚えているのかいないのかは定かではないけれど、こうして普通に飲みに誘ってきているということは、きっと覚えていない。ましてやサシ飲み。彼にそんな開き直れるほどの度量はないはずである。
覚えていないのであれば彼がいつも通りに振舞うのも当たり前ではあるけれど、とにかく気に食わなかったのだ。
本当に覚えていないのか確かめたい気持ち半分、彼にとってキスは朝飯前なのか知りたい気持ち半分。リアクションを見たい気持ちが少々。
周りくどい話の切り出し方をするくらい、許してほしい。



...ねえ、キスしてみれば?その先輩に。



は?
…いやいやいや。さすがにそれはパワープレイすぎでしょ。

いいじゃん。キスしてみればもしかしたら先輩の見る目も変わるかもしれないし。

いや、でも付き合う前にキスするとかさあ。真剣なのよ、おれ。

大丈夫だって。ぜったい大丈夫。

え、そんなに推す?経験済みなの、そのシチュエーション。

秘密。

え~~~、ぜったいなんかあったじゃんそれ。おれ聞いてないんだけど。教えてよ、参考までに。


確信。これ、忘れてるな。とぼけてるとかじゃなくて、本当のやつ。
あ、いや、参考って言ってもしないけどね?おれは?なんて間抜けな顔をしながら両手を振って否定している彼が、嘘をついているようには見えない。自分だけが覚えているというのは、なんとも居心地の悪いものである。とはいえ、覚えてられていたとしたらそれはそれで居心地が悪いのだけれど。
とにかく、悪気がないとはいえ、どうにも気に入らない。


ま、とりあえずさ、キスしてみてなんかあったら報告してよ

キス魔かよ、あほか

どっちがキス魔。どっちがアホ。その言葉、そのまま返してやりたい。
やかましいわ、と手元にあった枝豆を彼の口にねじこむと、ちょ、お前、そういうとこだから!って騒ぎ出す。あ、ごめん、皮のままだったね。これくらいが、わたしたちにはちょうどいいんだろうか。本当にやかましい彼を横目に、ぐい、とジョッキを煽った。




あ~、ねえ、むり。もう歩けない。

いやお前、今日飲みすぎだから。まじで。


いや、そこまで飲んでないけどね。とは、言わない。酔っていないわけではないけど、自分の足では歩けるくらい。だけど、潰れたふりでもしないと、やってられなかった。この間のわたしの気持ち、思い知ればいい。あんたの介抱がどれだけ重たかったか。どれだけ面倒臭かったか。
お酒には強いほうで、なんなら自分よりも一回り以上大きな目の前の男を介抱していた自分。そんな自分はいままで嫌いではなかったけれど、こんなときばかりはこの体質が恨めしい。覚えてない、なんて言うのはただの言い訳になって、自分の中でだけ少しの罪悪感が後を引く。
あのときだってそうだ。一緒に潰れて、あのまま帰らずにいっそのこと、ぐだぐだと夜を越えてしまえれば。と、そこまで考えて、いや、ないか、と思い直した。キスひとつで二人のその先を考えるなんて、馬鹿馬鹿しい。


ねえ、近いよ、はなれて。

よく言うわ。そんなふらっふらの足しといて。重ったい。

ひど。先輩には言わないんでしょ、どうせ。

当たり前じゃん。そんなの。

じゃあわたしにも言わないでよ。先輩との飲んだときの練習だよ、れんしゅう。

わかったわかった。いいから前見て歩いて。


酔っ払いの模範的な絡み方に心底めんどくさそうにするけれど、彼は決して、置いて帰ったり、タクシーに乗せたりはしない。けれどこれが、期待に値しないことはわたしが一番わかっている。だって、わたしもあの日のわたしは今の彼と同じようなもので。重たい体を支えて帰ったあの日は、心底面倒だったはずだった。


ねえ、

はいはい、今度はなんですか。

しようよ、

何を?

キス。

なんでよ、しねえわ。

言ったじゃん、さっき。キスしたらぜったい落ちるって。先輩との練習になるの、これも。

はっ、めっちゃ推すじゃん、キス。誰としたか知らないけど、思い入れすぎ。先輩はそんなキス一つでなびくような人じゃありませ~ん。

なにそれ、えらそうに。なんにも知らないくせに。先輩のことも、急にキスされて、どんな気持ちになるかも、ぜんっぜんわかってないくせに。

知らないよ、そりゃ。されたことないし。

だからしてみる?って言ってんじゃん。

はいはい。飲みすぎね、お前。

ねえ、ちゃんと聞いてよ。

聞いてるって。酔っぱらってわけわかんないこと言ってるんでしょ。

本気なんだってば、


ここまで言うつもりはなかった。それなのに、どうにかしてでもあしらおうとする彼にたまらなくなってしまったのだ。彼に体重を預けるのをやめて、そのままそこに立ち止まる。
彼の目をまっすぐ見上げると急に動揺が見て取れて、それになんだか優越感を覚えた。


ほら、しよ、って言ってんの。

いや、え、どうしたのほんと。なに、冗談?

だから、本気。わかんないんでしょ、だって。キスされたらどうなるか。ほら、知りたくない?


アウェイなムードに少し耐えきれなくなって、彼に選択をゆだねるようにして逃げ道を作り少し笑ってみせた。彼もそれに乗ろうと、さっきの動揺を消して、ふ、と笑う。もう、ここまでにしよう。


ほら、飲みすぎなんだって。おれとお前、そういうんじゃないじゃん。まじで心臓に悪いから。ほら、行くよ。


これ以上はもう、と言わんばかりにわたしの手を引っ張って進もうとする。
けれど、一言、たった一言が引っかかって。ほんの数秒前まではわたしだってこれ以上話を広げるのはやめよう、って思っていたのに。
なのに、そういうんじゃない、って、何?
そんな小さな意地で、動かないと言わんばかりにその場に居続けた。もしもこのまま素直に彼に手を引かれて歩き出せば、この話は彼の思っている通りに酔っ払いの気の迷いとしてなかったことになるだろう。正直、そっちの方がよかったと思う。でももう、止められない。彼のたった一言が思いのほか自分の奥に、ず、と沈んで、取り出せなくなっていた。


そういうんじゃない、って、なに?じゃあ、どういうの?

だから、おれとお前、キスするような関係じゃないでしょ。わかる?お前だって、先輩とキスしろって言ってたじゃん。先輩は、好きな人。

、ね。そうだよね。わかってるよそんなの。でもさ、違ったじゃん。

なにが?


…ほんとに、覚えてないんだ。って、ちっとも面白くないのに笑って見せるけれど、わけがわからないといった様子の彼は今度こそ笑うことはなかった。眉間に寄ったしわ、少し唇を尖らせたまま、ぐ、と結ぶ口。わかりやすいなあ。ばか正直なところ、嫌いじゃなかったはずなんだけどな。いまは、どうしようもなく嫌いになりそうだ。


ねえ、ほんとに、何の話?

このあいだ。の、飲み会。すごい酔っぱらってたじゃん。おれかえれないからさあ、ついてきてよお、いえまで、ってしつこいから、送ったでしょ。でかい体引きづって家まで歩いて、ポケットまさぐって鍵出して、玄関入ったら倒れこむからさ。靴だけ脱がしてそのまま部屋ん中に運んだ。重ったいし、だる絡みするし、ほんとめんどくさかったんだから。で、わたし帰ろうとしたら、覚えてる?急にキスしてきたの。、覚えてないんでしょ。そういう関係じゃない、なんて言う隙もなかったよ。

…、

で、どうなったと思う?わたし。キスひとつで、
…だからさ。先輩にもキスしてみたら?って、言ってんの。

…ごめん。

、ごめん、まじで覚えてない、けど。お前は、友達で、

友達で?友達ってさ、

...、


悲しそうで、困って、それでいてやるせないような顔をして俯く彼を見つめながら、勝手だな、と思う。そういう関係、を先に崩したのはそっちのくせに。そんな顔をしていいのは、わたしの方なはずなのに。どういうわけか、自分が悪いことをした気分になってくる。



…わたしだって、友達だと、思ってたよ。




ねえ、どうすればよかったの。なんて、わたしが我慢して黙ってよかったことで、そうすれば友達のままでいられたんだろうね。
でも、それって友達なのかな。わたしはもう、戻れなくなっているのに。知らないふりが、できなくなっているのに。どちらにせよ、このままで友達でいるのは無理だったと思うな。

キスひとつで、馬鹿馬鹿しい。って、そう思う。けれど、しょうがないじゃないか。あの日、きみの熱い手が頬に触れたとき、その親指が頬を撫でるように触れたとき、唇が、触れたとき。髪の隙間から差し込まれた手が、頭を包みこむように触れたとき。


そこに生まれてしまった、わたしの感情のせいで。

実像だと思われていた、思っていた、友達という関係は。とっくに虚像へと成り果てたのだ。

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いとぐち 真
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