マニュアルなどない
人の声、テレビのニュース、新聞の細かく丁寧なフォローの入った美しくお手本のような日本語の羅列、ibokのブログ、女神クラブのふんわり優しいメッセージ、私の日常、新しい音楽、先生からの返事、今のままでは到底進めないことがわかってきた2018年の11月と12月。新しいことが起こりそうな前触れがチラチラとよぎってくる。
なぜだろう、なぜ昔はあんなに過信していたのだろう。もうあの時は確かに過ぎたけど、今でもはっきり部分的に思い返せるのだ。
前のようにはきっとなれない。なりたくない。
楽しいことをすることがどれほど大切かを餃子屋さんで力説されて、二人とも飲んでないのに、酔っ払いのようだった。そして、その楽しいことは、自分のためなのに、人のためにもなる種類なのだった。書くと小難しく聞こえるけど、やると簡単で、純粋なことなの、きっと。自分が!とやると消えてしまうソレは、今の私には、どうすれば?と思ってしまうものでもあるのですが。。。考えすぎだ。
あんなにいっぱい色々言ってもらって、ああー、、本当にすごかった。Queenのこともマイケルやジュリアンやイタリアンな店のことも、そして不良やヤクザの心意気や生き様もなぜか少し聞き、でもなぜか忘れるようなことも多く、親戚の話もしたし、とにかく段階変わったね、時代の。
これからどんどん変化の風が吹いていくのかと思うと、なんとも気が引き締まるような、うんざりしながらも腹をくくるしかないし、自分で自分に責任を取りきる、やりきる、ということに尽きるのだなと再確認ですよ、まったくもう。細かいどうでもいいことに本気になるんじゃなくて、自分の本当にやるべきことをやってるかどうかだけを気にしてやっていかないと。そこだなーと心に強く刻まれた。今の自分をただ提供して全体が上がっていくようなこと、そうなれるように進みたい。そしてなるべく、できる日もできない日も、どちらの日も大事にしよう。全ての人が違うのだから、私が人と違ってもいいのだ。