家に帰ってきた父との時間
10月17日、父は無事に退院し、
母と住む自宅に戻ってきた。
杖をつきながらではあるが
自力で歩ける。
いつもは地下鉄とバスを乗り継いで行った病院だが
階段も多く、不自由な足では危ないので、
その日はタクシーで帰宅したそうだ。
「ウーバータクシーを使おう」となぜかこだわる父と
「病院の前に停まってるタクシーで良いでしょう」と言う母の
小競り合いがありながら・・・
(父と母らしい)
無事に病院の前に停まっていたタクシーで帰ってきたようだ。
帰宅してからは、
自分でシャワーも浴びれて、
トイレにも行き、
「一人で行ったら危ないよ」
「骨折したら寝たきりだよ」と注意する
母の心配をしってか知らずか、
一人でマンションの敷地内を散歩していた。
帰ってきてからと言うもの、
緩和ケア病棟の登録に行ったり
介護保険の申請の面談があったり
在宅ケアの先生が来たりと
なんだか毎日何かしら用事があるような日々。
そして、私も
両親の都合のいい時を狙って
生後2ヶ月の娘と一緒に
家に顔を出しに行った。
テレビを見ながら何気ない話をしたり、
大谷翔平選手の試合を見たりして過ごした。
ドジャースリーグ優勝の瞬間も一緒に。
父と母は大谷選手が大好きなのだ。
私はあまり野球は興味ないけれど、
父と母があーだこーだ言いながら
野球を見ている光景を見ているだけで
十分幸せだなあと思えた。
それにまだまだ小さい生後2ヶ月の孫を
愛でてくれる両親との時間が
ただそれだけでありがたい気持ちになった。
「首が座るまでは怖いから」と
抱っこをしたがらなかった父も
体重が5キロ近くなって、
首も少し座りかけてきた次女を
抱っこしてくれた。
その日は少し肌寒く、
足の指先が少し冷えている娘をさすりながら
「足が冷たいねー、おてても冷たいよ」と言いながら
愛おしそうに触れ合ってくれた。
子供を産んでよかった。
父と母に可愛い孫を見せることができてよかったと、
本当に心の底から思う。
長女の時は、2020年。
コロナ禍真っ只中で
小さい時期にじいじばあばに
たくさん会わせることができなかった。
今思えば本当にコロナが憎い。
外出自粛や会わないことが思いやりのような
空気があったので両親を誘ってお出かけをしたり、
旅行したり、孫と触れ合える機会を
作ることがはばかられた。
今更嘆いても仕方ないが、
家族で過ごす時間は
生きる意味の一つでもあるような気がするから。
謎の流行病の存在は当時は恐ろしかったが、
世界中の人々の大切な時間を奪ったように感じ
私の人生観が変わった出来事でもある。
だからこそ、
会える時に会う。
伝えたい時に伝える。
一緒にいる時間が本当にかけがえないもの。
日々忙しさにかまけて
つい自分のことで精一杯になってしまうけど、
父の病は、
そんな当たり前のことを思い出させてくれる。
リビングで、
父が椅子に座りながら
「ビタミンDを作らなくちゃ」と
窓から入る陽に当たっている。
私は娘に授乳をしながら、
父と会話をする。
長女は小さい頃は人見知りで
慣れるまでじいじばあばと会うだけで
大泣きをしていた。
そんな時を懐かしんで、
「泣いてると目が不安そうだもんなあ」と
長女の性格を分析する父。
今では、
おじいちゃんとおばあちゃんが大好きな長女だ。
昔はママと離れると大泣きしていたのに
今では「ママ、赤ちゃんのおむつとってきていいよ!
私ここにいるから!」とへっちゃらな様子。
「なんで一人でじいじに会いに行くのよう!」と
保育園から帰ってくると私に言っていた。
慎重で慣れるのに時間がかかる性格の長女だが
父と母には懐いているのだ。
窓の外を見ながら父は、
「あと3年経ったら○○(上の子)ちゃんも小学2年生か。
○○(下の子)ちゃんは3歳だね」
3年。
父は見れるだろうか?
なぜ3年後を想像したのか、
何を思ったのかは聞けなかった。
でも、孫の成長を見てほしいな、
見せてあげたいな、と思った。
穏やかなこの時間が
少しでも長く続いてほしい。
父との幸せであたたかな時間を忘れるのが 怖い。