東京の鮫洲運転試験場でのひと時
新年おめでとうございます。
昨年は、5ヶ月以上にわたり体調が優れず、通院しながら闘病し、年を越してしまった。皆さんには、応接が不義理になる等ご迷惑をかけ、ひとかたならぬご心配をいただき申し訳ありませんでした。六分程度回復したが、何分、高齢。種々の機能の衰え、持病等と付き合いながら、無理をせずに自分のやるべき事が全う出来ればと思う。そんな最中、12月の誕生日約1ヶ月前に、認知症テスト、高齢者講習をパスし、運転免許証の再交付も受けられた。
東京の鮫洲運転試験場で免許の更新を受けたのだが、年間通して、世情を震撼させているコロナウイルス感染と未だに話題が尽きない煽り運転などの迷惑行為の事を考えさせられた。試験場には、おそらく毎日、何千人という人達が、免許証更新等の為、訪れている。無論、マスクをしていない人は、職員をはじめ、来庁者にも見かけない。緊張感が漂っている様に見え、当然のことながら、だらしなかったり、突っ張っている人やアウトローもいない。未だここで、コロナウイルスに感染した話は聞かない。やはり、多くの人が訪れても、近距離でのフレンドリーな会話を伴わずに、マナーを守り、節度をもってお互いに、意識して、整然と行動している場合は、仮に保菌者がいても感染しにくいのではないだろうか。更に一部を除いて、ほとんどの人が、優良ドライバー?の認定を貰い、家路に着くのである。
こんな人達の一部が、一般社会に戻り、緊張が緩み、コロナ感染の当事者として、広めてしまうこともありえる。又、煽り運転等迷惑行為やその誘発行為により事件を起こすこともあるのだろう。何故、これだけの特定空間で、コロナ感染に加担しなかった人や、粛々と免許更新の最終チェックを受けたドライバー達が一般社会に解き放されると、様相が一変するのだろうか。幼少青年期にわたって、学校、家庭、社会でも、法令、マナー、自由と責任及び義務を繰り返し学んできたが、働いたり、成人になったりすることにより、ある一定の自由を獲得する。その反面、責任と義務も生じ、人との関係に於いて、勝手な振舞は許されない。しかし、現実には、緊張を強いられる空間以外で、気が緩み、自分を含め、大多数の人の言動が自分勝手、自己中になり、先のコロナ感染、迷惑運転等を引き起こしている現状に留意しなければならない。日本は、最たる法治国家であるが、このままでは、日本人と外国人が自他共に認める、慎み深くマナーを守る、勤勉である、親切で優しい、忍耐強い等の美徳が失われていく。煽り運転をされたドライバーも自分勝手な運転をせずに、道交法を守り、マナー違反をしなければ、煽りドライバーをキレさせることなく、事件を未然に防げた事だろう。しからば、せめて許認可をする公的機関や、資格認定をする団体等が実技面だけでなく、精神面の安定・向上を図る様、時間と費用を費やすことが必要だと思う。又事あるごとに、今回の経験を踏まえ、日頃から、お互いの為、さり気なく、してはいけない事や、すべき事に言及する事により、我々の守るべき社会規範、マナーが当たり前に浸透して、人様に嫌な思いをさせる事なく、暮らし易い社会になっていくのだろう。