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蕎麦街道を車で走って改めて気づいたこと

普通、蕎麦街道と言うと、道路沿いに少なくても数件の手打ち蕎麦店が点在しているのを想像することだろう。山形県の次年子蕎麦が食べられる国道347号近辺の村山市〜大石田地域はそんなイメージがあるのだと思う。何件かを比べることができる楽しみがある.長野県中央の戸隠は、おいでおいでをしているかのように次々に店が現れる。信州・伊那地域等は、予備知識がなくても、行きさえすれば、ひょっこり蕎麦店が現れるし、何とかなる。従って、新蕎麦の季節には、長野は全国区の話題にもなる。蕎麦文化圏から離れた愛媛県松山の「井上」は、市内から宇和島方面の国道56号沿い。蕎麦好き等を纏めて引き受ける。私が道順を選び、特に慣れ親しんだ自分だけの蕎麦ロードは、福島県会津美里町高田の「梅庵」へのカントリーロードである。他にもかなりのソバ店を訪ねたが、自分にとっての蕎麦ロードの認識がない。

かっては、その蕎麦ロードの信号、交通量が少なく、スピード違反をして、免停になり、累積点数が減らず苦しんだが、今は、概ね、車らしい運転を心がけ、相手の脅威になったり、迷惑をかけることなく、坦々と走行している。会津若松市内から七日町経由、阿賀川(大川)にかかる蟹川橋を渡り、田園地帯を通り、大沼郡会津美里町高田に至るのだが、更に新鶴温泉近くを通り、小高い山間を抜け、河沼郡柳津町の斎藤清美術館迄の延長コース往復約3時間は、かけがえのない、癒しになり、一時、他の事を忘れる事もできる。特別な絶景があるわけではないが、春を迎え、展望が開けた、水田のモノトーンが緑の水辺に変わり、瞬く間に、そのエネルギーを吸収し、青々とたくましく育ち、夏の暑さに鍛えられ、黄色、カ黄金色、カーキ色と移ろい行く。特に往路のスリーシーズンは会津側に会津磐梯山等を臨み、山形県側に3千メートル級の飯豊連峰を仰ぐ。近場でも、自分にとっては、日常から一時潜伏できる時空になっている。

一日のうち、ブレークタイムも欠かせない。仕事に対し、癒される家庭があるが、其の儘の空気で帰るのではなく、ワンクッション置いて、クールダウンするのが私にとっての習慣であった。自分を取り戻したり、時には無理なく、仕事以外の僅かな人と気軽に、接点を持つ事も必要である。リセットも出来、いつも同じようなテンションで戻っていける。しかしその習慣のない人にとっては、無駄であり、戸惑いさえ禁じ得ないのだと思う。すべて、合理主義に基づき行動し、ぼーっとしたり、求めるでもなく、何かを探しづらくなった今日では、生き残りの人種なのかもしれない。

ブレークタイムとして、一日一回カフェに行くようにしている。お客様に待機していただいたり、同道する事もあるが、息抜きにも利用することがある。会津若松市内で、大町四角の”ギャラリーCAFE 大正館”は100年経った元銀行であり、利用すると、オーナー所有の女性を中心とした斎藤清の版画作品の秀作30点ほどを二階のギャラリーで見ることができる、気さくな店である。野口英夫青春通りに近い”喫茶 蔵’”と”なつかし館“はアンティークな落ち着ける店。中央通りの” 焙煎屋珈琲店“は高級感漂う雰囲気を醸し出している、違いが分かる店。

これ迄、たいして面白みもなく、起伏に富んだ人生を歩んだ訳でもないが、何十年と家庭も仕事も維持できたのは、一つには、蕎麦ロードとブレークタイムが潤滑油にもなっていたからだと思う。あまりこれと言った趣味・道楽もなく、ごく地味な生き方をしてきたに過ぎないが、何とか間に合ったのかと思っているので、それなりに満足している。残された時間もこれまでと変わらないリズムで過ごせればそれに越したことはない。





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