「三食昼寝付き」
結婚して数年後、ホテルの売店で、手のひらサイズの石膏で出来ている犬の寝姿が気にいり、手に入れた。以来何十年も家に飾ってある。妻には、言わずもがなのメッセージになったと思う。無防備で、安心しきった表情で寝入っており、癒される。当時、「三食昼寝付き」は、流行り言葉ではなかった。自分が家に戻った時には、愚痴を言うことによりストレスを解消できるし、仕事からもオフ状態でいられ、睡眠時には、何の屈託もなくスヤスヤ眠れる環境を整えてほしい。お互いへの願いを込める意味があった。
「三食昼寝付き」の元々の由来は、高度成長経済期の申し子の様なものだった。国民所得が上がり、夫の給料が多い家庭で、妻が専業主婦として、へそくりを作り、主婦仲間、友達等とランチやブランド品等の買い物をし、文化、芸術活動に勤しみ、家にいれば、昼寝までついてくる。安心できる家庭に完全就職するみたいなものだった。夫が猛烈に働いてるのをよそに、そんな、いい気な主婦を揶揄して男性達が言ったのだが、女性達は、一向に気にしていないし、当然と思っていたのだろう。
時は流れて、バブル経済が破綻し、各家庭でも、経済的に逼迫をきたし、共稼ぎせざるを得なくなった。欧米先進諸国では、早くから、共稼ぎをし、家事、子育ても分担していた。時を同じくして、家事労働などの価値が見直され、男性には益々不利になった。私は、店の営業と、年間最低4回、各20日程、長期の遠隔地出張をこなし、オーバーワーク気味だったので、最小限の協力しか出来なかった。それこそ、65歳を過ぎても三食昼寝付きとは、程遠い生活だった。
現在は、更に高齢になり、コロナ禍でもあり、出張も極端に減り、家にいる事が多くなった。妻にすれば、老後を楽しみたいのに、私の世話でままならぬ様だ。三食昼寝付きと言われ、面倒がられたり、羨ましがられている。今年、二人とも、満80歳になるが、妻が一応健康なので、手はかからない。それをいい事に、〜が食べたいね!〜は美味しいよね!等と呟けば、日を置かずして食卓に忽然と現れることを知っている自分は、ノーテンキで上手すぎるのかも知れない。この上、不満を述べたら、何おか言わんやなのだろう。
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