他の車を慮らずには、車らしく走れない
今や、車による走行は、多くの人に、直接、間接拘る事で、無関心では、いられない。自分勝手に走行していたら、大混乱に陥るので、道路交通法で、一定の規則を設け交通整理をしているし、交通マナーを潤滑油にして、スムーズで気持ちのいい走行を目指している。しかし、現状では、何らかのストレスを受けたり、与えたり、憂鬱な気分を引きずることが多い。何故なのだろうか。
違反運転をすれば、罰金と行政処分が課せられるので、ルールは守らざるを得ない。それでも無用と思ったり、悪質な違反が跡を絶たないし、個々のマナーが薄かったり、反社会的であり、嫌な思いをさせられている。我々は、戦争、暮らし向き、貧困、格差、環境、資源枯渇、地球上の生物消滅等の重要課題を抱えているが、他の懸案でも重大な曲面を出来することがある。その一つが、道路交通問題である。日々感じる暗雲の一つかもしれない。人が、それぞれ、勝手な運転をしていたら、数珠繋ぎになったり、渋滞を引き起こし、自分も巻き込まれてしまうし、意地悪したり、互譲の気持ちがなかったら、その悪影響が、社会に伝播して行くことだろう。
高速道路では、長い緩やかな上りになると、走行スピードがダウンし、渋滞を引き起こすので、スピードアップを喚起しているが、元々、同じ時間帯の走行車両数が多く、スピード差によるスムーズな走行が妨げられると渋滞が起こる。解消するには、走行車線、追越車線がある場合、それぞれ本来の機能を生かし、走行する事が肝要である。複数車線のある高速道路で、速度制限が100kmだとすると、適用車両は、原則、以下や以上で走行してはならない。同じ時間帯に、多数の車両が流入し、皆が、厳格にそれを守ると大渋滞に陥る。実際には、以上で走る車が、走り抜けるので、多少、渋滞解消には貢献している。
既に、立前と本音の使い分けをある程度黙認されているので、高速道路等の走行が成り立っている。更に混雑を緩和するには、追い越し時等に制限速度を境にして、20km前後のスピード差を容認する事なのではないだろうか。例えば三車線あるとして、高速に慣れていない初心者や久し振りに走行する人がのんびりと?80〜100kmの走行車線を通行し、100〜120kmで走行する人は走行車線の右側、二つの追越車線を利用すれば良い。何れも追いついたら追い越し、キープレフトは、当然の事。
道路交通をスムーズにする為の潤滑油は、他の車に対するお思いやりである。流入してくる車を入れてあげるのがルールだし、無理な割り込み、煽り等をしない事である。又、追い越される車の為にも、追い越したら出来るだけ速やかに、左側車線に入る必要がある。更に一時停止や、徐行時等に左方優先の決まりもあるが、互譲の気持ちで臨めば、人に優しい気持ちの連鎖が広がる。自動車運転試験場や自動車運転教習所の講義でも、事故と被害者、加害者の悲惨さを強調するばかり。そうならない為の視点、アドバイスが欠けている。道交法を守り、他の車を慮る互譲の優しさが、ストレス、イライラを解消し、交通渋滞や事故から逃れられる事に繋がることを示唆して貰いたい。
仕事で、50年近くも日本列島を行ったり来たりしている私も、以下の様なメリハリのある運転をして、渋滞に巻き込まれない様、ストレスを溜めない様、事故を起こさぬ様気をつけてはいる。仕事では、磐越道、東北道、東名道、北陸道、名神道、山陽道、中国道、九州道を走ることが多く、高速道等に入って気になるのは、二車線、三車線目が、塞がっていたり、追走している車が、必要以上の集団になっていることがある。渋滞や事故に巻き込まれる恐れがあるので、出来るだけ早く、現場から離れる様にしている。基本的に、走行車線が空いていなかったら二つの追越車線を利用するのに、自分なりに、原則がある。高速道等では、スムーズな追い越しをする為、20km程のスピード差をつけるし、少し引き離して左側の車線が空いていれば入る。追越車線をサーっと走り抜けないと渋滞の原因になるし、追い越した車の直前に入る人がいるが、それでは、追い越す意味がない。但し、追い越された車の走行波長が合えば、安心であり、気楽なので、その車に追随して走行するようにしている。又、三車線の高速道で、追越車線が混んでいるのに、走行車線が、ガラ空きの場合がある。早く走りたい気持ちが裏目に出て、皆が渋滞に巻き込まれているケースである。こんな時は、走行車線を100kmで走り、縫うようにくぐり抜け、不承不承、高速道路を走行している意味を感じざるを得ないのだが、残念でしかない。本来の高速道路の意図している走り方に著しく相違している。他に、非常信号灯の活用として、自分に要因がないのに、煽り運転をされる時、無理を言わないでの意味で使用するし、有難う、感謝していますの意味で使う事もある。特に、高速道では、追越車線を何時迄も走行せずに、キープレフトをしてくれ、自分がその車を追い越し出来た時等にも使用する。更に、反対車線で、取り締まりを行っている時は、割合しつこく、バッシングを続け、注意を喚起している。罰金と行政罰を受ける不愉快さを引きずりながら過ごす気の毒さとその影響を受ける人間関係を思うからである。
年末には、81歳になる老人が、マイペースの運転をする為に、苦慮している。多分、ボケの防止にも役立っているはずだ。行政がその気になれば、交通事故を減らせるし、交通マナーの改善だって可能な事。道路交通をスムーズにさせる為、黙認すべきこともあり、悪質な違反は、取り締まってほしいが、件数、点数を上げる為に、多数の人数と多額の費用をかけてもらいたくない。逆撫でしていたら、効果は上がらない。又、一般的には、どの世代にせよ、免許証を返上させ、車を減らせば交通事故が減るのは当たり前。高齢者だけに年齢制限を設け、免許返納することが、実質的に、事故の軽減につながるとは、思わない。年齢も考慮する必要もあるが、運転の技量、経験、知識や運転履歴等も精査して免許を交付すべきである。何の根拠があって、数多の写真を見せ、一時経て、記憶を試す事が、咄嗟の判断力や運転に関する認知機能欠如の有無に影響するのかもわからない。運転試験場や教習場では、道交法を守り、安全運転をし、思いやり運転をすることが、事故や渋滞に巻き込まれず、それぞれの快適な走行を留保出来る近道であることを執拗に、丁寧に具体例を挙げて取り上げてほしいし、費用と時間を惜しむべきではない。一般ドライバーもその資質に応じて、応分の負担をするのは仕方がないと思う。道路行政とて、視点を変えて、断行すれば、交通問題を解決する近道になるかもしれない。