「洒落た名前に、思わず微笑み、優雅な境遇を彷彿・・」
最近、コメンテーターとして、報道番組に出演されている宮本笑里(えみり)さんの名前が気になっている。ひと昔前、音訓を組み合わせた塾語等は、重箱読みと言われ揶揄されたものだった。しかし、洋風な呼称に表意語の漢字を当てたネーミングが素晴らしい。バイオリニストの世界には疎いが、ご両親の思い入れや、豊かな環境、境遇まで彷彿とさせられ、久しぶりにほのぼのとした気持ちになった。
名字帯刀の時代を経て、明治には、皆が氏名を名乗る様になる。安易につけたもの、吟味したもの、先祖由来の名前等、様々ではある。数日前、お会いしたお客様で、森藤(もりとう)という苗字の方がおられた。この読み方も言わば重箱読みで、もりふじと言う直接的で綺麗な表現にせず、森に藤を忍ばせた感があり、奥床しい名前に思えた。いささか以前の体験だが、初夏から梅雨時にかけて、森・林・山間に紫色の藤や霧の花が咲き誇っているが目立たなかった。息ぶく樹々の緑色が強烈で、反対色でない紫の花は、調和、吸収されてしまい、埋没してしまう所為なのであろうか。しばらくは、そんな想いで遠巻きに眺めていたが、ある時、近付いてしげしげと眺めるとハッとするほど鮮やかで美しい。勿体無い環境とも思ったが、物事には、はっきりさせないで、自分で気付いたり、時経ってから、わかった方が感動が大きい事もあるのだなと理解した。
外国と交易を始めてから、外国語の固有名詞、普通名詞を日本語に翻案出来ず、新たな言葉を作ったり、その読みに合わせ、漢字の音訓両方を使い分けたり、カタカナで表記してきた。今でもその流れは続き、日本語の多様化と進化に貢献しているのかもしれない。それぞれの想いや願いも込めて苦慮して考えた言葉や名前は、人におもねる事なく、自由に作り使用して構わないはずだが、中には、独善的であり、ひんしゅくを買い、不愉快にさせるものもある。かって、我が子の人格を脅かしかねない名をつけ、役所が受理しなかった例もあった。ご本人達は、きっと満足しており、アイデンティティーを誇示している積もりなのであろうが、気になるものが多々あり、何とかならないかと感じるのは、私だけであろうか?
環境も悪く、殺伐たる世情の最中、外来語や洋風な固有名詞などの漢字表現に、ちょっとした配慮・ユーモア・匠が加われば、人をなごませ、楽しませる事ができると思う。嫌な言葉よりか、いい言葉に出会いたい!これからも、いいネーミングを注視し、ストレスを軽減することにより、己自身も出来るだけ、人にストレスを与えない存在になれればありがたいものだが。
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