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「最初にして最後の我田引水が始まる」



私は、会津若松で会津出身の版画家斎藤清作品のギャラリーを営んでいるが、
何十年も前は、主に福島県内で油絵・日本画等を紹介していたが、ふとした
縁で、斎藤清の木版画に出会い、驚愕を覚えた。芸術性、多様性に優れ、抜群
のデザイン力があり、リアルな、日本及び世界各国の風景の中に、何故か、そこはかとない郷愁を感じさせられるものがあった。もっとも画家自身は、絵は、あくまでも構図であり、郷愁を意図して表現をしていないと語っている。当初は、理屈でなく、一瞬にして心打たれ、こんな作品を扱ってみたいという衝動に駆られ、生涯、自信を持ってお客様に紹介できる画家と作品だと確信しての営業が始まった。

在日・軍属のアメリカ人を中心に、斎藤版画作品の人気が高まり、外国で個展を開いたり、日本で有名な日本画・油絵等をしりめに、外国の出品展で数々の賞に浴し、当時すでに、東京や会津での知名度が上がっていた。この版画を観光地会津の主要なリーダーに納め、人が集う場所に飾って貰えば、全国的にも認知度が徹底し、斎藤人気は、不動のものになり、地域は更に盛り上がると思っていた。然るに、生来、内気の性格が災いして、何と今日まで、予定行動が憚られ、躊躇してきた。県外出身の私が、斎藤人気による便乗営業すれば、余り興味のない経営者の「結局、伊藤が得するだけの話で、その為に自分が御輿を担がせられる様なものだ」との思いを背負っての営業は恥辱に耐えないし、「我田引水」と揶揄されかねない事だから断念すべきなのかと思い続けてきた。当時、地元のデパートでも斎藤清版画即売展が頻繁に催されていたが、今でも、主要な会津の大店、其々の業界のリーダー関連で、人が集う場所には、ほとんど作品が飾られていない。これ迄、当ギャラリーは、会津及び福島県内、全国の愛好者の度重なる観覧に支えられてきたが、ここに来て、積年の想いと、自責の念が込み上げて如何ともしがたい。

それは、対称的な実例を、ずっと見てきたからでもある。私が、福島県以外の出張を何十年も続けて、便宜上何千回も立ち寄る店がある。その経営者は、当該県以外の出身であり、当地の有名な偉人と縁のある建物に着目し、関連イベントと要人には、気遣いを忘れずに時間を割き、海外の記念行事にも率先して出席している。当初から、この観光遺産を携え、営業に反映させるという強い想いがあったに違いない。しかし、同じ県内の、その偉人と縁ある地域とは接点を持たない様だ。彼が大きなイベントに出席したり、報道で取り上げられると、その顛末を私に、誇示し話し出す始末。地元の常連やリピーターも散見されるが、その人物と建物が超有名で、しかも居心地の良い古民家風の佇まい故、来店するのが当たり前。すべて、店の客は平等。端然と「いらっしゃいませ。ありがとうございました。」でthe end。煩わしい人間関係や無用なことからも解放され、正に「我田引水」真っしぐら。その傍若無人な態度は、理解の外であり、呆れてもいた。しかし益々の繁盛ぶりは変わらず、客が、あちこち移動することにより、地域が賑わい、多大な地元還元に寄与している状態を目の当たりにして、印象も変わってきた。成功者の多くは、他の人に理解できない苦労と努力をしているし、信念を曲げない様だ。彼の一貫した営業路線が正解だったのか?脱帽!今では、反転して、人生の成功者として、羨ましき存在でもあり、成程なるほどと思っている。

それぞれが観光地最大の賜物を与えられていたが、私は、生かしきれていないし、まだ道半ば以下、彼は、本願成就の心境だろう。この差が何かは歴然としている。目標・方針を定めたら、忖度等せずに、「我田引水」と謗られようと、がむしゃらに遂行したか否かなのである。利己の為だけでなく、地域が賑わい、還元できることを確信していながら、踏み切れなかった、自分の不甲斐なさは、斬鬼に耐えない。私は、12月で83歳になる。持病等もある上に、老齢による諸々の機能不全が陸続と忍び寄ってくる。いつ如何なっても不思議はない。しかし、ここ1ヶ月の最悪の健康状態を脱し、モチベーションが蘇ってきた。斎藤清とその作品は、現在の地位に甘んじていては、勿体ない。会津・日本の宝として、歴史に残る存在であるべきだ。このまま、時代が移った時に、「会津にも優れた版画家斎藤清がいたんですよ」との語種で終わらせていいのだろうか。再び日本で世界で、もっと評価される時が到来すると思う。

我が運命として、せっかく優れた作品に関われたのに、斎藤清及び版画作品・柳津町斎藤清美術館・いつまでも見放さない、斎藤清と作品の愛好家等にぶら下がっているだけの自分が恥ずかしい。ここへ来て、遅ればせながらもアクションを起こして、お世話になっている方々に、もっとお返しがしたい。しかも、余所者の足を引っ張る事もせず、穏やかに受け入れてくれた会津地域への還元につながれば本望である。いつか、斎藤清作品が飾ってある店舗等のマップのパンフレットを携えて訪れる人が増え、会津観光の一つのコースにでもなる日が来るのを楽しみにしている。これが、私の最後のプレゼンテーションでもあり、他力本願のきらいもあり、それこそ「我田引水」の極みかもしれないが、ご理解を賜りたいと思う。







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