とことん深堀する(No.110)
皆さん、こんにちは。
美人コンテストって見ますか。
わたくしは、たまに見ます。
「あぁ、耳の形が綺麗だなぁ」とか、「目鼻立ちがスッキリしているなぁ」など、なんとなく観ますね。
そこでいう美人って「美の基準が一元化」した価値の中で決定されるものですから、多様性としての価値観とは正反対なのでしょうね。
だから、身体各部のサイズ等の点で違いがあれば落選なのでしょうね。
もう、それは最早、失格基準があると言えそうです。
入社資格や出世基準と同じなのでしょうね。
では、政治家の基準って何なのでしょうか。
政治家失格って何なのでしょうか。
もう時機、衆議院議員選挙です。
さて本日の御話は二つ致します。
御話①…「2024年以降の経済政策」
経済は生き物であるという主張の「経済政策の骨子」を見ると、人間活動の本質的な認識に誤りを見るのであります。
どういう事かと言うと、「日常生活での経済活動」と「非日常生活での経済活動」が、個人においても法人においてもあるという事であります。
具体例で言えば、ある家族が東京ディズニーランドに親子4人で行ったとします。
そこでは、飲み食いを始め、お土産をたんまり買い込んで帰宅しました。
その家族の今回の支出は、年に一度あるかないかの特別な消費でした。
一方、年金受給者の老夫婦は、膝や腰に痛みを抱え、毎月に一度、通院をする生活であります。
その医療費負担は、老夫婦が受け取る年金支給額から捻出して支払っております。
この二つの各世帯は、年に数回の決まった勘定科目をそれぞれからの出費でします。
その家計を下支えする為の経済的支援を巡り、政治が施している幾つかがあります。
要するに、生きる上で最低限の限界値となっている支援なのか、それとも余暇の過ごし方である遊興費への支援なのかであります。
はい、皆さんなら、その違いをお分かりですよね。
今を生きる国民は、「子育て支援の給付金」と「高齢者医療費自己負担」にみる税金投入の目的とその流れを考える事が、益々、重要なのだと言えましょう。
東京ディズニーランドのようなサービス業・観光産業は、国民が生きていく上で、必ずしも必要不可欠な業務・仕事ではないと言えましょう。
しかし医療は、生きる上で必要不可欠のものとしてある事でしょう。
そうした価値尺度を持てば、「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の議員達が唱える経済の拡大や社会資本の整備のために行う政治は、量的緩和政策となってスーパーインフレ(物価高)を誘発し、富が富を生む社会の到来に過ぎず、ゼロから始める生活者は、見捨てられた経済(市場)と言えましょう。
現に、大卒初任給の年収では買えない高級セダンが、国産車では当たり前の新車販売価格になってますでしょう。
1990年代・30年前の20代は、300万円あればトヨタ自動車の高級セダン車であるクラウンを変える年収を得ていましたが、令和時代の20代は新車販売価格が700万円以上となっている高級車クラウンを買えないでしょう。
スーパーインフレな物価高騰社会です。
「どこの誰が、国内販売価格が一千万円以上する新車「レクサス車、NISSAN GT-R車などを買うのでしょうか」、買える者達、その者の職業は何なのでしょうか。
彼らは、民主主義社会に必要不可欠な仕事をしているというのでしょうか。
まさか反社か。
まとめます。
国家が財政を楽観主義に捉えて、積極的に歳出を増やし、市場を活気づかせる経済の活性化を目論む時、必ず財務省官僚組織が陥るミスがあります。
それは、費用対効果を無視している事であると言えましょう。
分かり易く言えば、通貨価値を下げる方法は「発行権行使で紙幣を刷る事」であり、「国債を無計画に発行する事」となります。
これにより、金融為替市場で飽和状態になった日本円の通貨価値は下落しますので、円安要因を国家が創出した事となります。
その結果として円安となれば、国内資産は買い叩かれたと同じ状態になります。
国内企業は買収され、雇用市場は不安定化し、一般国民の消費マインドは低下していきますでしょう。
よって、そうした景気低迷と連動した事で、税収減となることから消費税率は上がり、海外の庶民を訪日観光客として迎い入れる施策を講ずるのであります。
所謂、外貨獲得で急場しのぎをする財務補てん策と言えましょう。
こうした事を一言で言えば、「費用対効果を無視した結果」と言えますでしょう。
そもそも紙幣を刷る、国債を増発する事は「国民生活の向上と景気循環を潤す目的」にしなければならなかったはずでありましょう。
だが結果だけ見れば、通貨価値を下げ、カネ余りを現象(株高、地価高、古物高)を生み、あらゆるものを物価高騰のインフレ経済に押し込み、経済格差を無用に拡大させてしまったと言えましょう。
要するに、景気循環が悪い不景気社会ということ。
その失策隠しに、まずは低金利政策を強行し、続いて補助金や支援金などを給付する政策を連発させて、現金給付も駆使し、放漫経営的な「ばら撒きの政治」へ突入したのが、2000年からの我が国日本の政治と言えましょう。
言い換えれば、分譲派が恩恵を受ける低金利政策と住宅ローン減税などは、国家が住宅購入者の借金を免除しようとする不公正な悪政なのです。
何故なら、賃貸派の家賃補助を国家がしてますか。
分譲派だけ得をして、賃貸派は自己負担で家賃を支払い続けております。
自公政権の正体を知りましょう。
政治が下手な歴代内閣の実態に気が付きましょう。
続きまして御話②…「姨捨山(おばすてやま)」
この聞きなれない姨捨山という意味は、「60歳になった年寄り(老人)は、山に捨てる」という話であります。
映画では「楢山節考」が、その真意を描き、且つ「大量生産と大量消費」社会への実現の渇望を訴えております事でありましょう。
学校職員や教育関係などは、必ず見ていて損はない作品と言えましょう。
現代社会は、役に立たない高齢者を「早死にさせてしまえ」と言わんばかりに、「現役世代至上主義」をスタンダード(標準値)にしようとして、政治の世界で喚くが、果たしてそうした事は公正な判断だと言えますでしょうか。
何故なら、高齢者は「昔は現役世代だった」。
今の現役世代は「これから高齢者となる」とした思考を持たなければ、世代間闘争のような陳腐な選挙戦では、解決できないと言えるからであります。
更に言えば、今現在は「過労死やサービス残業やパワハラ・セクハラや男女不平等」などを問題視する風潮の世の中になっております。
しかし昔の人達(高齢者)の時代では、今では考えられない過酷な現実に向き合って働いてきたと言えるから、そうそう単純な「高齢者叩き」に傾斜する政治は、目的論が本末転倒になると言えましょう。
政治は「国民の暮らしを向上させ、幸福の追求を実現させる」ことを目的としているはずであります。
まとめます。
高齢者は「豊かな老後を夢見て、現役時代に一生懸命に働いていた」と言えましょうから、「高齢者負担を重くする政治は悪政」と言えますでしょう。
ですので、現状、豊かな高齢者は「現役時代の努力が報われた」として、今の社会に感謝するだけでいいと言えましょう。
そして現状、豊かでない高齢者は、希望に応じて、国家がセーフティーネットで保護して、最先端な老後施設に囲い込み、そこで衣食住を国家が提供する事が望ましい政治の在り方でありましょう。
要は、訪問介護等を必要とするような高齢者は、一か所に集めてしまうことで、低コストの介護事業が実施可能となり、24時間効率的に介護医療のサービスを高齢者は受け取れる事になるので、安心安全な老後生活が国民全般に保障されると言うものでありましょう。
我が国日本、「この国の国民は、年を取り、身体が不自由になってきたら、介護医療施設へ入所して生活できる」、そうした政治に今後、変えればいいだけでありましょう。
当然、裕福な高齢者は、国家に頼らず自宅療養をすればいいのです。
それを一色単にして「裕福な高齢者」と「そうでない高齢者」まとめてしまい、裕福な高齢者に負担増をしようとする政治は、人間の持つ「努力」とその結果を無効にする非生産主義の政治になると言えましょう。
大事な事は、「現役世代は、いつか自分が老いた時も、安心できる今現在の世の中を見させ、今感じる不安を払しょくさせること」が政治に必要でありましょう。
30年以上も先の老後生活ための投資や預貯金づくりに邁進させずに済めば、消費マインドは現役世代から改善するのは心療内科の基礎ではないでしょうか。
過剰な不安が、夫婦共働きの現役世代を中心に、社会全体にあるから、国民の間で、投機や投資熱が起きるのであります。
それら負は全て、政治の結果責任と言えましょう。
自公政権は、政治が下手でありましたね。
さぁ、皆さん、覚醒した心で、この世に起こる出来事を私共は観察して考察していきましょう。
インバウンド現象は「貧乏暇なしの日本人」を増やし続けることになりやしませんか。
東京・渋谷で、アルコール類を路上飲みする貧しい外国人をたくさん入国させて、どうするのでしょうか。
酒類販売店は売上が伸びても、周辺にはゴミ屑が散乱して、余計な仕事となる清掃活動が発生しますでしょう。
ゴミ処理費用は区や都の財政支出なら税金の余計な無駄遣いに繋がりましょう。
その予算あれば、幼児保育無償化、高齢者医療無償化、に少しでも向けられますでしょう。
因果応報とは、よく言います。
私共は日本人として、幸せに生きることを願ってやまないですね。
本日、日曜の三連休、お仕事する方も、そうでない方も、元気に過ごしましょう。
そして、上着が必要な季節になりましたので、皆さん、健康に留意しましょうね。。。完