「すごい」って言わない宣言

「すごい」という言葉は、便利で、残酷な言葉だ。

そう意識したのは、最近のこと。

出向して間も無く、職場のOさんと居酒屋に行くことになった。
デザイナーのOさんは、前職ではウェディングのアートディレクターとして、新郎新婦一組一組に合わせた唯一無二の空間づくりをされていて、
まるでアーティストのMVのような世界観が表現された過去事例を見せてもらいながら私は、
「うわ〜すごいいいですね!」「すごい、めっちゃセンスいいですね」などと連発していた。

その時にふと、
『待って私、さっきからすごいしか言ってないぞ』
と気づき、それをそのまま口にしたところ、Oさんが普段気を付けていることを教えてくれた。
それは、“かわいい” “かっこいい” “すてき“ ”すごい” この4つの言葉(以下便利な感想4点セット)を使わずに感情表現をすること。
そうした方が、相手に自分の感情が具体的に伝わってお互い感じ良いし、
自分自身もどう感じたのか記憶に残りやすいから、と。
あと、空間を提案するときにも、お互いの認識を合わせやすい。
Oさんはこれを前職の先輩に教えてもらってからずっと実践し続けているらしい。

私はこれを聞いて、また「すごい」と言いそうになってしまっていた。危ない。
代わりに、「わ〜それ聞いてほんとに、反省しました。」と“すごい”を使わずに(ヘボいながらも)感想を述べた。

その日からというもの、“すごい”ほか便利な感想4点セットを使わないように猛烈に意識するようになった。
意識してみると、今まで本当に何でもかんでも“すごい”で片付けてしまっていた自分を発見し、1日の中でも結構な頻度で反省した。
そして、大きく2つのことに気付いた。

1つ目は、“すごい” で片付けることは、感じる心を放棄する行為だということ(自分目線)。
“すごい”と口にした背景には数々の感情が、例えば今まで見てきた風景とか、思い出とか、尊敬する人の考え方とかが絡みあって、心が動かされて口からその言葉が出るわけで。
でも、たったその3文字だけ口にして、それで終わりだったら、
その場でせっかく動かされた心は無視されて、雑に脳内の“すごかったフォルダ”に振り分けられて行くだけ。
それってものすごく勿体無いし、悲しい。そしてそのままで人生をぬるぬる生きていくのって恐怖すぎる。
これに気付いた今からでも、できるだけその時に感じた感情をきちんと結びつけて、名前をつけて整理してあげたいと思う。そしてそれは文章としてアウトプットして、目で物理的にも見えるようにしていきたい。

2つ目は、“すごい” としか褒めないことは、相手に失礼になってしまうかもしれないということ(相手目線)。
これは本当に反省。いろんな人と話してきたシーンをいくつ思い浮かべても、“すごい”を連発している自分しかいない。
なぜそう思ったかというと、その人のどんなことが素晴らしいのか言葉にするのをサボってるのと同じだと思ったから。相手に表面上でしか向き合えてないのと同じ。
あと、そんな“すごい”人が私と話してくれているのに、私からその人に何も与えられていない気がするから。私がもらうばっかりになっていた。
じゃあ、どうやったらなぜすごいのかをきちんと伝えられるんだろう、と考えたら、やっぱり普段からいろんなことを能動的に知っていかないといけないなと・・・勉強しなきゃ、と。大人こそ、日々勉強だなぁ。しかも、誰からもケツ叩かれないし、教科書も新学期になったら配られるわけでもなくて、全部自分から動かなくちゃいけない。てぇへんだ、、
ちょっと脱線しちゃったけど、常日頃からいろんなことや言葉に触れてストックして、素晴らしい人たちに素晴らしさを伝えられる人になりたいと思いましたという話。

すでに心がけている人からしたら、またはもはや心がけずとも語彙が飛び出しちゃってる人からしたら、小学生の気付きみたいに思われるかもしれないけれど、私にとっては大きな気付きだった。Oさんとこの話をしたのは3週間くらい前だけど、常に頭にある。
今はまだまだだけど、便利な感想4点セットをできるだけ使わずに生活していけば、この先に語彙力と表現力で無双してる私がいると思うと結構楽しみ。この機会に“すごい”使わない宣言しちゃう。がんばろっ

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