誠実になりたい人生だった
誠実になりたい人生だった。
こう書くと、書き手は偏屈な屁理屈屋でかつ皮肉屋なのだろうと予想される。
大方その通りである。
なんせ母と姉を反面教師として持ち、幼き頃より素直になれ、という圧力に反した人生を送ってきた。
素直ってなんだ。心に嘘ひとつつかず、真正直と言える愚直さで生きているのに、何故非難さればならない。
言葉は鎧だ、壁だ。自分を守るためのものだ。時には武器にもなりえる。だが、幼い自分にとっては、能力も技術もない未熟な私にとっては、己が世界を救う唯一の方法だった。
菩薩のように何にでも頷き、自分はそうは思わないのに人の意見を鵜呑みにすることだと言うのなら、私は素直なんていらない。
結局のところ、大人は聞き分けの良い子供の方が好きなのだ。それが実感をもってわかる歳になった。だから大人は素直、なんてあやふやな聞こえの良い言葉を使って子供を責め立てる。貴方はなんで素直じゃないの。なんでいうこと聞けないの。と。
そんなの、そうとは思えないからだよ、と言えたなら楽なのに。
でも言い返したら更なる反撃が来るから、私は言葉を呑み込む。それにあなたたちはほら見たことかと勘違いする。
上手く立ち回れる人たちが羨ましい。
なんでこうも普通から外れるような感覚を持ってしまったのだろう。
昔から、どうも周りよりも考えることが少しズレていた。道徳の時間は苦痛以外の何物でもなかった。小さなコミュニティでは、少しのズレでさえ排除の対象になる。世界を知らない私は誤魔化すことに必死になった。
誤魔化すことを覚えると、言葉は私を蝕んだ。こうでなくてはならないと、自分で作ったルールに囚われていく。足元が徐々に狭くなる。立つための場所が減っていく。
立たなくては。私にあったのはそれだけだった。自分が自分でいられるように。生きていけるように。私が私でいられないなら、邪魔するものは全て敵だった。
私の素直を聞け。
あなたの勝手な都合を押し付けるな。仲良しこよしの平和なぞ、見てくれだけに過ぎない。ヘラヘラ笑ってやり過ごせるだけの技量はない。だから私は叫ぶ。本当は、そう思い込めるだけの人間性があればよかった。そう騙されるだけの頭であればよかった。
けど現実はそうじゃないから、違うと私は感じてしまっているから。だから、折り合いをつけられる歳になるまで、私はずっと抗っては打ち砕かれていた。
誠実になりたい人生だった。だけど、そうはなれなかった。