![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/10872670/rectangle_large_type_2_8092c9d076b910a2da7cb93f6d2bb131.png?width=1200)
スロウダウン
新年度みなみな様おめでとう。新たな元号こんにちわ。平成よあと少しよろしく。
そんな時報が世に流れてる。
乳製品は値上がりするし物価はやっぱりちょくちょく上がる。
今の職場はようやっと三年目で、給料がようやっと少しまともになって安堵する。今年度は珍しくスロウな滑り出しで仕事が捗る。
そう、捗るのだ。
捗って、時間が有効活用されて更に仕事が片付いていく。定時で上がれるし認められない残業はしなくて済むしで万々歳。ちょっと本屋で物色しようなんて気の済むまで出来るし、肩の痛みと棒な足が根を上げるまで家に帰らずフラフラ出来る。
最高で両手挙げてホゥレェイ!と言いたい気分だ。絶対言わないけど。
これが慣れかと納得する。だけどもこの、なんとも言えない慣れない感に戸惑う自分が多いにある。片付かない企画系の書類を頭を悩ませ数日ファーストフード店に入って悩む日々。終業後一人終わらない計算を怒り宜しくキーボードに叩きつける午後八時。
それに慣れきってしまった二年間だった。
慣れて自分の一部になって仕舞えば修正訂正なんて簡単にはいくはずがなく、いつもの癖でいつもの様に馴染みの店に入り浸っている。
時間があるなら自分磨きなり勉強なり本読むなり寝るなり寝るなりすれば良い。そうすりゃ明日の仕事の捗りも違うだろうし意気揚々と順風満帆な生活が送れるというもの。
しかし、染み付いた習性は易々と拭えないのである。奴隷根性待った無し。社畜精神放棄せよ。崩壊まであとわずか。崖っぷち人生ここに極まり。
違和感が拭えない。
腹は満たされているのになんだか物足りないのは充実感がないせいか。いつ来るとも知れない詰んだ仕事で気が気でないからか。何も考えなくていい日を頭の何処かで望みながらも、毎日毎日同じ電車に乗るルーティンな明日。
何処へ行くの、何処に帰るの。
金太郎飴みたいな時間を過ごし、ささやかな仕様変更な違いを経て布団の中で眠りにつく。
これが大人だなんて、しりたくなかった。
多分こんな、去年とは大違いな緩やかな日常にもそのうち慣れてしまうのだろう。
人の味覚は二週間そこらで変わるという。この心境も一時的な不具合で、その内これが当たり前なのだと振る舞える自分が想像に難くない。知らない内に死んでいった選択と体内の細胞の様に、慣れとは人を鈍くする。
変わるものと変わらないもの。限りある時間の中で昔と今を行ったり来たりしている。
これからも、今までのように様々な事象を通り過ぎては気づかないうちにサヨナラをするのだ。
そして遠い日の私は、こんなことを思ったことさえ忘れているに違いない。