かつての嫁が女になった(2023年夏の出来事 あらすじ)

かつて嫁だった人は、女になった

かつて嫁だった人は、女になったみたいです。

(男がいると)告白された時は、眼の前が真っ白になり、気がトチ狂いました。
あんなこと実際にあるんですね。
ドラマとか、衝撃的な告白シーンに、フラフラするような現象です。

直近まで、仕事のこと、子育てのこと、などとても協力しながら生活していたため、うまくいっていたといっても過言ではなかったです。
二人でご飯に行ったりもしていましたね。

そんな最中に、男ができたみたいで、
もうそれはそれは無限に広がる虚無感に襲われましたが、
仕事のことで頑張らないといけない時期なので、どうにか踏みとどまりました。


僕は、ママのことが好き

僕は、まだママのことが好きです。

でも、恋愛をしたいという意味ではなく、
一人の人間として尊敬し、信頼し、魅力的だという意味でです。

だから、側にいたいし、話したいし、一緒に楽しみたいです。

だから、男がいるかどうかだなんて本質的な問題ではないのです。


といっても、恋愛感情はないことはありません。
(ちゃんと自分自身の本能も、偽りなく受け止めます。)
だから、上の関係に加えて、ひそかな片思いをしているような感覚です。


人間関係は、自分のためにもシビアにする必要がある

いろんな心理学を学んで、思うことは、
「たとえ、好き好きな仲でも、一定の距離感を持っていないと、誰のためにもならない」ということです。

僕がママのことが好きだったとしても、ママが振り返らない限り、それ以上のことはしてはいけない。
ママが僕のことが好きだったとしても、僕が振り返らない限り、それ以上のことをする必要はない。

過剰な対応は、結果がどんなことであっても、自分が責任を持つ。

難しいことを書いていますが、
二日酔いするのに飲みすぎてしまったお酒や、
生活費が残り少ないのに買ってしまった贅沢品みたいなものです。


だから、ママがそっぽを向いているのに、
自分から寄り添おうとするのは、自分勝手な過剰な対応で、
結果がどんなことであっても、自分が責任を持つという考えでいます。


家族のカタチは生きている

ここで、忘れてはいけないのは、僕(いちパパ)は不要になったのか?

結論から言うと、NOです。

僕は、ママや子どもたちに必要とされています。
これがとても大きかったです。

というのも、男は、お金はなく、子育て経験もなく、時間もない、
ような人だそうです。

だから、僕は父親としては、まだまだ需要があるそうです。


需要に供給を与える関係であることが、ベスト

人は、ポストを大切にします。
ポジションや役割、立ち位置です。

恋愛の彼女彼氏、夫妻などはもちろん、
上司部下、などです。

本人の内面は、全く変わらないのに、
外面は、一瞬で変わってしまいます。

上司になったから、不得意な分野にも口を出すなんて、典型的なポスト主義ですよね。


でも、本当の人間関係とは、需要供給の関係だと考えています。

「需要があるところに、供給できる人が要る」

あらゆる人間関係は、それでいいと思います。


今回のことも、そういう感覚だと思っています。

たとえ、「女」になったからって、
ママはママです。

「そのタイミングに、欠けていたピースに、
男がちょうど入った」
そう考えると、
「あ、たしかにママらしいな」と感じます。

ママは、計画的に生きるタイプではなく、
感覚的に今日を楽しむために生きるタイプなので。


だから、
ママであろうとなかろうと、
足りている部分に、僕が上乗りしようとするのは、
得策といえません。


となると、需要とされている父親役をしっかりと務めることが、
今、僕があるべき姿なのかなと感じています。




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