町内会なんてぶっっっ壊そうぜ!町内会の歴史を振り返ってみた。
みなさんは『町内会』なるものに所属してますでしょうか?
勝手なイメージとして、
【町内会費を飲み食いに使い果たす】【口うるさい裏ボス的なオバハンがいる】【リーダーはくっそ気が弱い押し付けられたおじちゃん】などなど
基本的にはあまりいいイメージを持っている人は少ないんじゃないでしょうか?
むしろ、前時代的で昭和の時代に取り残された過去の遺物といった、悪しき習慣として早くなくならんかなぁとお考えではないでしょうか?
最近、NPOの人やら地域コミュニティがどうたらといった方々とご一緒する機会が多いのですが、そういった人たちですら「町内会がホントうざったいんですよ!」とおっしゃる有様だ。
ふむふむ。
地域をよくするための町内会が地域をよくしようとしている人たちの足を引っ張ってはあかんなぁ。でも、実を言うと町内会の実態もよく分からないなぁ。
ということで、今一度町内会についてきちんと調べてみよう!町内会の存在は令和のこの時代に必要なのか?
町内会が必要かどうか不安よな、いちごじ書きます。
町内会の歴史
みなさん町内会っていつからあると思います?
なんとなく結構昔からありそうだなって思いませんか。
町内会の起源には諸説あり、行政的に始めてまとめられた江戸時代の『五人組』とする人や、地域の住民同士による『自然的組織』であるとする人もいます。
「別に起源なんてどっちでもよくね〜」とお考えのみなさん、めちゃくちゃ関係あります!
もし五人組を起源とするならば、町内会は行政組織(幕府)の指示のもと作られた組織であり、国家や行政の末端組織として住民の管理や統制を基本性格として位置づけられます。
それに対して後者は、住民の意思をもとに町づくりや決まりごとを行う組織として位置づけられることになります。
この町内会の起源によって、現在の町内会が行政や国家の指示に従う組織なのか住民の意見を集約して実行したり行政に要請する組織なのかを決定する大切な考察だったのです!
しかし、いくらここで考察してもなかなか答えは出てこないと思います。
そこで起源に関しては一度置いといて、町内会がどのような歴史を歩んできたのかをみていきましょう。
江戸時代に近隣の住民同士を一括りにした「五人組」から時は流れ、時は明治時代へと突入していきます。
明治維新以降、政府は地方に対してどんな政策をとったか覚えていますか?
一番記憶に新しいのは「廃藩置県」ではないでしょうか。
このように地方の再編にのりだした政府は県単位でなく、もっと細かい地方再編を行うため1872年に「大区小区制」を実施しました。簡単に説明すると、これまでの伝統的な地域権力構造を立ち切って新しい地域支配機構を作ろうとしたものです。
しかし、これまでの住民が自治的に地域の問題を解決してきた歴史を否定し、中央政権の命令をただ伝達するだけのこの取り組みはうまくいきませんでした。1878年には新たに「郡区町村」が始まりましたが、これも地方の自治を行政が完全に掌握するには至りませんでした。
それどころか、1889年に試作された「市制・町村制」によって政府は町内会にある程度自由な権力を黙認せざるを得なくなっていくこととなります。
なんでだと思います?
まず市制・町村制について説明すると、これまで7万近くあった市町村を1.5万まで減らしたのがこの制度です。
これによって財源の効率化などいろんな問題の一本化が進んでいきました。
しかし、これまで対処していた小さな問題まで一つの組織が対応しないといけなくなり、多くの行政施設が大混乱に陥ってしまいました。
このままだと運営ができないと判断したため、地域の問題はある程度地域で解決してくれ!となっていき狭域地区内での自治体制が広がっていくこととなります。
わかりやすく例えると、通学路の標識が木の枝に遮られてて危ない!と市役所にいっても一週間くらい動いてくれないときありますよね。
しかもその遮っている木が公園とかの公共施設のものだと住民が勝手に切るわけにもいかないもんだ。
そこで、木を切る権利を最初っから町内会に与えておけば問題もすぐ解決するし、いちいち市役所も対応せずに済んでWIN-WINだよね!ってゆーイメージです。(わかりやすかったかな?)
しかし!地域の小さな問題を取り扱っている間に日本という国家がどでかい問題を抱えてきました!
「戦争」です。
これによって町内会の歴史は一気に政治の思惑にどっぷり浸かっていくこととなります。
政府は戦争強化の体制を進めていく中で、市制・町村制法を改正し、町内会を市町村の補助機関として法律上の位置付けを行いました。
これにより町内会の役割は政府が指示する事項について協議し、供出、配給、防空壕の設置など生活に密着した事項を遂行する国家の末端戦争協力組織としての役割を与えられました。
わかりやすくイメージすると「はだしのゲン」で町内会が主導して竹槍の訓練をしたり、戦争に反対する住民がいたら取り締まりをおこなっていたりしていたものです。
戦後、どういった理由であれ戦争に加担した町内会はGHQによって禁止令が出されることとなります。
それでも町内会は独特な機能の役割や、戦争で傷ついた人々の心の拠り所として存続し続けていました。
その後、禁止令は1952年に失効し、多くの自治体が町内会を住民の自治組織として位置付けつつ行政の末端事務を助成金を交付されながら運営せれていくこととなりました。
ここまで読んでいかがだったでしょうか?
いくら行政が町内会を支配しようとしても住民同士の寄り合いや助け合いの心によって保たれてきた日本の人の心を感じませんでしたか?
しかし、現在の町内会にその心があるとは思えません。
戦中戦後の動乱を駆け抜けてきた町内会がなぜ崩壊に向かっていったのか、今後の町内会はどのようにして生き抜いていけば良いのか。
超近代の町内会論については次回お書きしたいと思います🍓
町内会の5原則
これまで町内会の流れについて書いてきましたが、「そもそも町内会ってなんだ?」と思いのみなさん!すみませんでした泣
ここでは町内会が町内会と言えるために必要な5大原則をお話ししたいと思います!
その前に、みなさんにとって町内会の定義って何ですか?
【行政の人が運営していないこと?】【毎週一回は集まらなきゃいけない?】
一度考えてみませんか?
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さて、いくつか意見が出たことを信じて発表したいと思います!
町内会の5原則とは
① 一定の地域区画をもち、その区画が相互に重なり合わない
② 世帯を単位として構成される
③ 原則として全世帯加入の考えを持つ
④ 地域の諸課題に包括的に関与する
⑤ 行政や外部の第三者に対して地域を代表する組織となる
この5点ではないでしょうか!
他にも地域や年代によって特徴があるので、みなさんの地域の町内会の性質を考えてみてください!
さて、この5原則についてもう少しわかりやすく書いてみますね。
まず、①の一定の地域区画をもち、その区画が相互に重なり合わないとは何か。
一言でいえば、二つ以上の町内会に所属しないように気をつけよう!といったところです。
イメージとして、小学校の通学区域が被っていたらどっちにいくのか選ぶのが大変だし、選ばなかった方に対して角が立ってしまうので極力被らないようにしよう!といった感じです。一世帯が加入するのは一つの町内会だけ!
②の 世帯を単位として構成されるとは。いくら地域のことについて考えるといっても地域に住む人全員がメンバーとなってしまったら物事を決めるスピードが異常に遅くなってしまいますよね?
そこで、家庭を最小単位として扱うことで、意見の集約を取りこぼしなくスムーズに行うよう形成されるようになりました。
しかし、この世帯を単位とすることは「個人の意思を踏みにじっている!」と近年批判の的とされています。また、以前までは一つの家族=一つの世帯でしたが、核家族化や一人暮らしの影響を受け、町内会の構成員をどう扱うかは近年議論されてます。
③ の原則として全世帯加入の考えを持つ。これが一番問題視されているところです!
詳細な説明はいらないでしょう。基本的に町内会は地域内に所属する世帯全てを対象としていて、信仰や活動に対する考え方が違っても日常生活を円滑に営むために全ての住民が加入することを前提とされていました。
そもそも日常生活を円滑と言いますが、町内会に入らないとどんな問題があったと思いますか?
最近でも町内会に入らない住民に対する嫌がらせが報道されていますが、特に昔は村八分とされ3つの大きな嫌がらせが行われました。その3つが、
葬式のボイコット、ゴミ収集の排除、水のせき止と言われています。
このように当時の人にとっては死活問題と取れる嫌がらせが横行したため、町内会の全員参加は形はどうあれ成立していました。
しかし、日常に必要なサービスを公共機関や企業が担うようになってからは町内会に加入しないデメリットがどんどん減少していき、2005年には最高裁が「自治会の脱退は自由」という判決まで出されることとなったんですよ!
④ 地域の諸課題に包括的に関与するとはなんなのか。
町内会が全世帯加入の原則をとっており、特定の年齢や地区の住民にだけ利益がある活動を防ぐ目的が大きいです!
しかし、近年町内会の加入率や稼働率は低下し続け、町内会に変わって「NPOこそが地域の未来を担う組織のあり方だ!」といった論調や「地域の問題と生じて各個人の問題にまで踏み込む町内会はデリカシーがない!」といった意見も多く存在しており、どこまでを行政が、個人や家庭が解決しなければいけないのかは今後問われ続けていくでしょう。
このNPOと町内会の関係については次のブログの主テーマとなるので、是非とも読んでみてください!
最後に⑤の行政や外部の第三者に対して地域を代表する組織となるとなりますが、どいうことでしょう?
地域にはたくさんの有志による団体が存在します。趣味や社会性の高い活動を行なっている多種多様な団体があり、それぞれの固有の理念と共同のもとで活動を行なっています。
その団体が「もっと活動を大きくしたいなぁ」「行政から支援を受けたい!」と思った時、当然会員さんたちは行政を頼ることとなります。仮にその団体がめちゃめちゃ地域に貢献してたらどう思います?めちゃめちゃ貢献しているんだったら少しくらい補助金出してあげてもいいんじゃね。って思いませんか?
しかし、実情を見ると、NPOや地縁団体でも適正な補助を受け取れるは事例は多くなく、受け取れたとしても期限や詳細な報告義務が課せられるなど継続的で円滑な組織運営を行えている団体は数少ない現状です。
この、特定の地域課題や関係者が参加していることによるメリットも大きいのですが、外部の人から「本当にみんなのためになってるの?」「あんたらの利益にしたいだけやろ!」という批判が行政に集中されてしまうので、地域の全員参加と公平性を前提とした町内会こそが地域を代表とする組織と言われています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は町内会の性質と平成以前までの歴史を振り返ってまいりましたが、ここでポイントをまとめてみました。
・町内会は行政組織か自治組織かはいまだに不透明である
・町内会のあいまいな立場は現代では否定の声が大きくなっている
・行政は何度か町内会を手中に収めようとしたが、住民の意思により憚れている
といったところでしょうか。
2番目に否定の声が大きくなっていると書きましたが、本当に消えてなくなれ!と思っている人は意外と少なく、多くは「もっとこうして欲しい」「あそこを改善してくれれば」と思っている人が大半でしょう。
アンケートにもよりますが、概ね8〜9割の人は町内会の存続に肯定的で、まさしく令和の時代に町内会はどうあるべきか?を社会全体が考えなければいけないでしょう。
今回は町内会の沿革について触れましたが、次回は現代の町内会の実情。そして、今後の町内会のあり方について考察していきたいと思います🍓
【後編記事】
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あとがき(毎度恒例面白い)
今回は町内会について書きましたが、実を言うと僕の世帯は町内会に加入していません。まじ申し訳ない。
いつもテーマに沿ってあとがきを書いているのですが、町内会についてはほとんど書くことがないんだよね。
ふむぅ〜困った、、
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最近暑いですね!みなさまいかがお過ごしでしょうか。
今回は高校時代のお話です。前回のセンター試験のブログにて、高校時代野球部にいたと話した記憶があります。
この野球部というのは非常にキツくてですね。
なんせ野外でやってるもんだから、暑いったらしゃーないんですよ。
だからいちごじ含め当時の部員はバッティング練習中に打球が体に当たったふりをして、冷却スプレーを浴びに部室へ避難することがプチブレイクしました。
そしてあの日。
ぼくはいつものように『いたっ!打球が足に、、』と真実ともフェイクとも言える言葉をつぶやいて部室に避難しました。
そこからは慣れたもんで10cmくらいのスプレー缶を顔に思いっきりぶちまけました。
すると、『痛っ⁉️イタタタタタ???????』
眼球に感じたことのない刺すような痛みが駆け抜けました。
突然の痛みにスプレー缶を投げ捨てるとあら不思議。そのスプレー缶には『ベースコーティング』と書いてあるではないですか。
一試合になんど踏まれるかわからない一塁ベースを白く保つためのベースコーティング。その技術が白い悪魔となってぼくの顔面を襲いました。
その後、しばらくのぼくのあだ名は『鈴木その子』に変更されたのは当然の結果といえましょう。