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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.150 病院で見かけた親子らしき人の話。

noteを始めて、早10ヶ月。
今まで、noteを、辞めようかと思ったことが数回はある。

一番長く投稿ができなかったのは、耳鳴りがひどくなった、6月ごろ、たしか、2週間くらいは何も書けなかった。

近頃、辞めるとか、辞めようかと思っている、毎日投稿を緩くなど、noteでよく見かける。

私も、noteを投稿しながら、そんなことが頭の中によぎることはたまにあるなぁと思いながら、しかし、何のためにやってるかを、もう一度、初心にかえって考えると、私は、『腹鳴恐怖症』と『吃音症』のことを、知らない人に知ってもらいたい。

そして、少しでも、その症状で、悩んでる人達が、元気になればという気持ち、私のように、40年も悩み続けて、人生を無駄に長く悩んで欲しくないと思っているから。

それから、先々、このことで悩んでいる人たちの役にたつことを、何か今は形がわからないが、やりたい気持ちも、今の私には出てきたりして、とりあえず、自分の気持ち整理も含め、何か、読んでくださる方に、良い影響を与えることができたらと、思っている。

日々の、日常しか私にはない。
なので、常に何かネタはないかとネタ探しをしている。

ネタは探さなくても、あれも、これもと、ネタが渋滞していることもあれば、全く、すっからかんで、何にもないなという時もある。
色々だ。

書くか書かないかと思っているだけのネタがあったのだけれど、それは、後からでも良い感じだったから、今日、義母をいつものように、月一回変えるバルーンカテーテルの交換をするために、病院に行った時の話をしたい。

義母は同じ病院で、デイケアなので、私は、交換の終わった義母をデイケアの部屋に連れて行き、1人で、受付の前で座って名前を呼ばれるのを待っていた。

あっちを見ても、こっちを見ても、お年寄りばっかりだ。
週一で、病院へ義母を連れて行っている私は、私も、同じくらいの歳になれば、歩き方もこんな感じで、杖をついて、腰も曲がって、だんだん、人間はそうなっていくんだなと思いながら、足腰はちゃんと鍛えておかないと、自分の子供たちに、迷惑をかけてしまうからと思う気持ちもある。
自分のできる範囲で、子供に負担をかけないように、良い意味で、子供をあてにしないようにと、いつも思う。

色々考えていると、ある親子らしき2人が、病院の出入り口の自動扉から入ってきた。

しかし、何か、親子にしては、全く顔が似ていなかった。
男の人は、スーツみたいなものを着ていた。
割と背が高く、体格が良い感じの、60代半ばかといった感じだった。

その顔が似ていない、親子らしき2人は、息子らしき人が、母親らしき人の手をしっかり握って、その母親らしき人は、片手で杖をつきながら、歩いていた。

私は2人で握った手を見て、てっきり、親子だと思い込んでいた。

どうやら、その、お母さんらしき人は、右耳が聞こえないらしいが、最近、旦那さんらしき人が亡くなったらしく、葬儀屋がどうのこうのと、受付けで話をしていた。
入院費を支払いにきていたようだった。

そのお母さんらしき人が、亡くなられたご主人らしき人の、入院費を支払う間、受付前の椅子に、その、息子らしき人は、黙って座って、そのお母さんらしき人を静かに見守っていた。

どう見ても親子ではないか。
そう思ったが、胸に〇〇タクシーと刺繍されていた。

タクシードライバーだったのか、どこからどう見ても似てはいなかったが、どう見てもその接し方は、親子じゃないか?と思う程だった。
色々話していたわけでもなく、しかし、このコロナ禍、そんなに手を強く繋ぎ、支え、受付に連れていってあげる、その優しさはと思い、目が離せなかった。

1人で暮らしていて、誰もいなくて、タクシー呼んで、うまく動けない人だったのかもしれない。

その人が、手提げも持ってあげて、まあ、状況がそうなったのか、そうさせたのかは分からなかったが、とても、優しいタクシードライバーだと思った。

本当に、滅多にタクシーなんて乗らない私だけど、本当に、数年に一度は乗ることがある。
よほどの時しか乗らないのだけど、よほどのことが、数年に1度は起こるものだ。
タクシーのイメージがうんと、上がった。

仕事とは言え、タクシードライバーの仕事って、どこまでだよ?
と思ったのもあるし、でも、手を貸してあげるしかない状況だったんだろうなと思った。

でも、全く歩けないわけでもない人の手を握りしっかりと連れていく姿は、とても輝き、素敵に見えた。

私はまた思う。
この世の中、こんな、優しい世の中になれば良いなと。

困った人や、悩んだ人がいたら、サッと手を差しのべ、優しく、助けてあげたいなと改めて思うことができた。

そのタクシードライバーのおじさまは、そんなことができる、優しい人なんだと勝手に思った。

確かに状況かもしれないが、同じ状況でも、どこまでやってあげるかは、人それぞれ、側から見て、親子に見えるくらいだから、とても良い仕事以上の仕事をしている人なんだろうなと思い、嬉しい気持ちにもなった。

こんな人が沢山増えると、平和だなと思いながら、バタバタと過ごす今日も、もうこんな時間だ。
今日も良い日だ。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^

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