#61 大人が全介入すると、子どもは無関心になる。
「大人が全介入すると、子どもが無関心になる」
この場合の介入は、干渉と言い換えることもできます。
子どもがこの世に生を受けて、何もかもが初めての世界でどぎまぎするのと同じく、親も、その子の親になった瞬間から初めての親業の世界に突入するわけです。
でも、どのように子育てをすればよいのか、実績も経験もないのでどぎまぎしてしまいます。
私自身もご多分に漏れず、どぎまぎ度マックスの親業を現在進行形でしています。
とりあえず、出産前は子育て本を読みあさり、母親学級などで知識としては取り入れてはいました。
ただ、十人子どもがいれば十とおりの子育てになるわけで、何がスタンダードなのか、何が正解なのかを求めてしまうとわからなくなってしまいます。
慣れない子育てをしていくなかで、自分に自信をなくし、自信のなさがイライラにつながり、家族にあたるということもありました。
特に我が家の長女は予定外に早く産まれたうえに頭蓋骨欠損という周りのだれもが経験したことのない子を突然持つことになったので、必要以上に神経質になっていました。
石につまずいて転びそうになれば、宙に浮いた瞬間にキャッチして怪我をさせないようにしていたり、時には「転ばないように歩きなさい」と注意したり。
それを続けていたら、失敗しそうになったら先に泣いてアピールをするような子になってしまいました。
そうすると親としては「うるさい」「静かにしなさい」となってしまうわけです。
そのうち、何か行動を起こすたびに親の顔色をのぞきこむように見て、うかがうようになりました。
そして、最終的には何をしても怒られてしまう彼女は、あきらめの境地に至ったのか、親に怒られても「はぁ???」みたいな態度を取るようになりました。
何がいいたいのかというと、親が過干渉になってしまうと、子どもの態度が
アピールをする⇒親の顔色をうかがうようになる⇒無関心になる
という動きになったということです(これはあくまで我が家の場合です)。
わが子が何をいっても無関心になる姿をみて、はじめて
「これではいけない」と思うようになり、いちいち口出しするのをやめるようにしてみました。
その結果、だいぶ時間はかかりましたが、自分で考えて行動するようになり、いざとなったときだけ意見を求めるようになりました。
おかげさまで、先日その長女も春にはひとり立ちし、先日無事20歳の誕生日を迎えることができました。
小4の夏に人口骨を埋める手術をしたあとは、頑丈な頭蓋骨をゲットした代わりに開頭手術の後遺症という代償を受け、正直、周りのお友達と同じような動きをすることはできません。
そのような状況下でも、チャレンジできるところは一度トライしてみて、ダメだと感じたときには次どうすればよいのかを考えるようになりました。
自分でできることは自分で決めてとにかくやってみる、という子どもになってほしいと思うのなら、子どもには過度に干渉しないのがベター。
その分を親である自分自身に注いだ方が心身ともに親子とも健康的になると思います。
是非、意識してみてみてください。