#56 努力で重ねる運より勤勉であることにより道は開かれる。
ゲッターズ飯田さんの言葉を借りてきました。
努力と勤勉。
どちらも地道に取り組む、一生懸命励むという意味では共通だと思うのですが、この言葉を見る限り、「努力」より「勤勉」のほうに、より重きを置いているように感じました。
それがなぜなのかを自分なりに考えてみたところ、「努力」の「努」という言葉の根源と関係があると思いました。
そこで、今回は「努」という漢字にフォーカスしてみたいと思います。
ここからの解釈は、完全に私なりの考察となっております。
飯田さんが私と全く同じ考えのもと、この発言をしたかは定かではありません。
あくまで眞島自身の解釈、ということでご理解いただければと思います。
「努力」の「努」の上の部分は「女」+「又」=「奴」という漢字があてられています。
この「奴」という字、「奴隷」「守銭奴」「あんな奴」など結構使われているのですが、あまりいい場面には登場しない単語です。
なんとなく人を下に見ているような印象を受けます。
「奴」という字の語源を遡ると、もともと女の人を手にかける≒奴隷にする、という意味が隠されています。
この解釈で進めていくと、「努」という字は「女奴隷が懸命に力を尽くす」となり、自らが一生懸命励むわけではないということになります。
つまり、「努力で重ねる運」は「女奴隷が懸命に力を重ねた結果、得た運」となってしまうのです。
なんだか急に怖くなってしまいました。
対して「勤勉」は、「勤」「勉」いずれも「力を尽くす」という意味ですが、こちらは誰が一生懸命なのかというと、いずれも「自ら」ということになります。
力を尽くしている人が自分なのか、奴隷なのかという比較になると自力に勝るものはない、という解釈です。
このように、漢字や言葉、故事成語、ことわざは、そのなりたちから遡ると、急に恐ろしい意味に転じたり、急にイメージアップしたりすることがあります。
奥が深いですよね。
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