【旗本退屈男で脳がいっぱい】
私は気の小さい子供だった。
先生に叱られることはしなかった。
宿題をやらずに学校へ行くなど、自殺行為と考えていた。
毎日、きっかり宿題をし、時間割通りに順番にランドセルに入れ、明日着ていく服も全て重ねて、ストーブの付近に置いておいた。
朝、タイマーで自動的にストーブが付き、私が起きる頃には着替えが温まっていた。
そのルーティーンが少しでも崩れると泣きたくなるほどの不安に駆られた。
この私の血が脈々と流れているのが次男である。
こだわりが強く、一筋縄で行かない。
親からすると、面倒くさい奴である。
そして、その次男と真逆なのが長男である。
陽気過ぎて理解出来ない。
こだわりなど皆無だ。
南国出身の夫の血のせいで、トロピカル精神が育ち過ぎてしまったようだ。
∇∇∇
明日から時短授業が始まる小4の彼は、宿題が終わっていない。
毎日『宿題やれ!』と怒鳴られても、全く気にせず、のらりくらりと好きなことばかりやって来た。
なので、今日は朝から宿題漬けなのである。
『は〜い、でっきました〜』という軽すぎる声がして、私は丸付けに向かう。
漢字練習のノートを開けて手が止まった。
自分で例文を考えるそこには、
静の例文 『僕は静岡県に行ってみたいYO。』
照の例文 『照り焼きチキンバーガーを落としてしまったああぁぁぁ』
成の例文 『育成ゲームに課金した。今思うとしないほうが良かった…。』
菜の例文 『賞味期限切れの野菜生活を飲んだが、まあ大丈夫でしょう。』
…丸付けをする手が震えてくる。
なぜなら丸付けできる箇所がない。
さらにページをめくると、旗の例文に、『旗本たいくつ男』とある…。
何これ…。
こんな訳わからん例文、提出できるかい……。
しかし、自信満々に濃く太く書かれた筆圧に若干こちらの自信が揺らぐ。
なに、結構有名な男なのこの人…と、念の為ウィキペディアを開いてみる。
『痛快時代小説の主人公……11作発表……映画化は計30本を超え……テレビドラマとして何度もリメイクされ……決め台詞はええい、この眉間の傷が目に入らぬか……』
結構、有名な男だった。
これはこれで私が知らなかっただけで、世間一般に認知されている固有名詞的な男なのかも知れない。
私はそのページを訂正せずにそのままにした。
いや、でもちょっと待って…。
あれアウトだったかも知れない…。
いくら何でも旗本たいくつ男って…。
そう脳みそが巡りに巡る母親をよそに、鼻歌まじりで長男はランドセルに漢字ノートを詰め込んでいる。
私の頭の中は旗本たいくつ男でいっぱいである。