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【世の中には人の物を盗める人がいる】
私はその人の左右の目をチラチラと用心深く見つめると、有り金を全て台の上にぶちまけた。
小銭も札も、ジャラジャラと広がった。
そこへ、白くふくよかな人差し指が伸びてきた。
[サンフランシスコ・ノンフィクション。中学時代の海外研修での実体験です。]
THE BODY SHOP──。
店の窓にはそう大きく書かれていた。
こんなカワイイ店は、私の住む東北の町には無かった。
サンフランシスコの自由散策中に見つけたこの店に、私は吸い寄せられるように入っていった。
いくつか商品を選び、レジへと向かう。
8ドル50セント…。
初めて、アメリカで、一人で、支払いをする時がついにやって来てしまった。
あんなに何度も予習したドルやセント。出来るはず、大丈夫なはず、と言い聞かせてとうとう自分の番が来た。
しかし、優しそうな白人女性の店員さんに、ニコリと微笑みかけられた瞬間、私の頭は真っ白になった。半開きの財布の中身に目を落としたまま、そこからもう動けなくなってしまった。
∇∇∇
レジの店員は、その財布の中身を見せてごらん、と優しく促してきた。
『ただでさえ日本人は狙われやすい。スリや置き引きに気をつけるように。簡単に人を信用しちゃダメだよ。』
引率の先生の言葉が私の体を硬直させる。
人を信用しちゃダメだよ…。
一度脳に刷り込まれた言葉の威力は大きくて、私をガッチリ支配しているようだった。
私の目の前のこの優しそうな人は、信用してよい人間だろうか。
それとも、無知な少女から金を巻き上げる悪人だろうか。
私は恐る恐る、チラリと彼女の目を見た。
さっきと1ミリも変わらぬ優しい瞳で彼女は私を真っ直ぐ見ていた。
その瞬間、私は財布を逆さに傾けたわけである。
∇∇∇
人の物を盗める人がいる。
それを知ったのは、小学3年の時だった。
学校帰りに仲良しの女の子と、いつも通り笹やぶの小道を通ると、そこに壮大な秘密基地が出来ていた。少し年上の男子達が笹やぶを踏みつけたり結んだりして、格好いい基地を作っていたのだ。
『入ってみようよ!』
友人は興奮して言った。
『うん!』
私も興奮していた。
中に入るといくつか部屋が出来ていた。男子達は別の部屋の建築に夢中で、『おじゃましまーす!』と入ってきた私達に気づいていないようだった。
居間のつもりだろうか、1番大きな部屋には、みんなで持ち寄ったらしい、数十個もの駄菓子が山積みになっていた。きっと基地が完成したら、みんなで宴会でもするんだろう。
私は『すんごいね!!』と興奮しながら振り返った。
友人はトレーナーをたくし上げ、腹の部分に駄菓子をいくつか詰め込んでいる所だった。
血の気が引いて脳がよく回らない私に、彼女は何度かこう叫んだ。
『早く!アンタも早く入れてよ!入れてってば!』
目の丸い可愛らしい女の子だった。
おばあちゃん子で、よく笑う子だった。
私に激しく命令するこの子は一体誰だろうか。
鬼─。まさにその名詞しか当てられないほどに、その顔は歪んで尖っていた。
心臓がドクドク跳ねて、冷たい汗が出てきて、私は硬直した。
硬直して首だけを何とかふるふると振った。
帰り道、彼女は私を意気地なしと罵った。
人の物を平気で盗める人がいる。
あの形相を思い出す度に、私の指先は痺れた。
∇∇∇
レジの店員は、『これが5ドル。そして1ドルが1、2、3。この25セントは使わないから戻してオッケー。』と、台の上でスルスルとお金を動かした。
彼女の英語は驚くほどスルスルと私の頭に入ってきた。
『はい、これでピッタリね!ジャジャーン!』
顔を上げた私の目に飛び込んできた、ぷくっと盛り上がる白い頬と揺れるくせ毛の前髪。
親切心からか同情心からか、そんなのはどうでもいい。彼女の深くから出る優しさが、私の胸に真っ直ぐ沁みた、それだけである。
私は、一瞬でも彼女を疑ったことを悲しく思いながら店を出た。
先生の言葉は間違っていない、それでも私は確かに悲しかった。
世の中には物を盗める人がいる。その一方で、
盗める人だと疑われてなお、清らかさを返す人がいる。
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