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【あの色の中を泳ぎきれただろうか】 #磨け感情解像度
ガツン!!!!
固く重い何かが、激しくドアにぶつかったかのような大きな音がした。なだれ込んで来たのは真っ赤な顔をした白人女性だった。彼女は間髪入れずに甲高く叫んだ。
『飛行機がハイジャックされたの!!ニューヨークで!!!』
ポカン、としたのは私が留学初日で右も左も分かっていなかったからではなかった。
この美術室全体が、教師が、生徒全員が静まり返り、ポカン、と居場所を失った空気だけが浮かんだ。すると、あんなに切羽詰っていた女性の顔の上で、熱がスーッと引いていくのが見えた。
彼女がトタトタ…と教室をあとにすると、皆、何事もなかったかのように、また絵を描き始めた。
私も右にならって静かに絵を描き始めた。
文化や人種は違えど、人間って温度差を感じるもんなんだな、空気を読むもんなんだな、などと、ペンを滑らせながらぼんやり思った。
アメリカ留学・ノンフィクション──16歳のセプテンバー・イレブンス
∇∇∇
2時間目は化学だった。
教室に入ると、もう何人かが席についていた。
まだ休み時間だというのに、彼らはおしゃべりもせず、一点を見つめている。
その視線の先には、一台のテレビ。
不自然さから来る違和感を覚えながら、私は空いてる席にぎこちなく腰を下ろす。
まだ友達もいない私は、周りにならって、そのテレビに目をやった。
青空とビルが映るだけの画面を、数十人が息を沈めて見つめるのは異様なものがあった。
耐えきれず、周りの表情をチラリと盗み見する。
その時、隣の席の女子が、『ハッ…』と息を呑んだ。
と同時に、斜め前に座っていた男子が『ウワッ…』と口に手をやった。
日光を浴びてキラリと光る機体が、ズブブブ…とビルにめり込んでいく様に、あの女性の真っ赤な顔と叫び声がフラッシュバックした。
と、同時に校内アナウンスが流れ、生徒は次々と立ち上がり、リュックを担いだり教科書をまとめたりし始めた。私も訳が分からぬまま、担いでまとめて席を立った。
授業は打ち切り、生徒は早退となった。
『皆、気をつけて帰るんだよ!あ、この子今日からの留学生、仲良くねー。』
バタバタと騒々しい教室の中で、教師のその言葉を一体何人が聞いたか分からない。
私の存在を、一体何人が気に留めたか分からない。
取ってつけたような私の存在を。
遠く離れた位置からカメラ撮影されるビルはあまりに無機質で、機体はあまりにゆっくり進んだ。
器用に重ねた積み木をガシャアンと崩した程度に見えた。
物体と物体がぶつかり合っただけのように見えた。
あの瞬間、どれだけの人の命が握りつぶされたかなど、
あの瞬間、世界がどんな色に塗りつぶされたかなど、
想像すらしなかった。
夢にまで見たアメリカ留学初日に、なぜこんな紹介のされ方なんだと、そんなことの方が気になるほどに私は未熟だった。
その日は、9月11日だったのに。
∇∇∇
何日、何週間、時が経つに連れて、その色は濃くなっていった。
ありとあらゆる場所にアメリカ国旗が貼られた。
家のドア、レストランやモール、車、そして私の部屋の壁にまで。
ホストマザーが入ってきて、国旗のポスターを貼っていったのだ。
白い壁が気に入ってたのに、やだな…とぼんやり思った。
ボウルいっぱいのキャンディやチョコを抱えて待ったハロウィン。うちに来たのはたった2人だった。
ずっと憧れていたアメリカ生活を楽しみたいと思う少女の気持ちなど、取るに値しなかった。
世界は、それどころではなかったのだ。
夜は静かだった。
誰も街を歩かなかった。
誰も大声で笑わなかった。
静かに沈む日々の中で、人々は何度も『神のご加護を…』と唱えた。
私が見たあの景色は、漂うあの色は、一体何色と呼ぶのだろうか。
静けさの下に燃える炎のような、
悲しみの下を這う怒りのような、
涙の下に渦巻く意地のような、あの色は。
∇∇∇
数ヶ月後、私は誘われたクリスマスパーティーに居た。
カウントダウンや乾杯、賑やかな雰囲気に、私もよく笑い楽しんでいた。
数ヶ月前、暗転した世界は、あの凍てついた暗い日々は、ゆっくり溶け始めたかのように思えた。
明るく暖かかったあの日々に、もう一度人々は向かっているようだった。
『ねえ見て!』
ひときわ明るい掛け声に皆が振り向いた。
その瞬間、部屋全体の空気が一気に凍りついたのが見えた。
酔っていたのだろうか、彼は大判のバスタオルをグルグルと頭に巻きつけて笑っていた。
そのタオルはターバンを連想させ、同時にニュースを騒がせたテロ主犯格の顔写真を連想させた。
パーティーは一瞬にして終わった。
一度ずつ、一度ずつ、と温めてきたこの世界は、こんな投石でパリンと割れるくらいに脆かった。
明るく振る舞ったって、闇は消えない。
体の奥深くで燃える怒りは、消えない。
∇∇∇
私は、教科書を取りに行こうと、自分のロッカーに向かっていた。
だいぶ、こちらの生活にも慣れてきた。
人見知りなりに、英語を話し、友達も出来ていた。
ままならないことは多々あれど、まあうまく行ってる方だろう。
広い廊下を歩いていると、前方から一人の女子生徒が歩いてきた。
私の脳はとっさにあの日を映し出す。
なだれ込んできたあの女性の血走った目。
思わず口をつぐんだ男子生徒の手。
晴れやかな青空。
キラリと光る機体。
無音。
崩壊。
彼女は、ヒジャブを被っていた。
こんな生徒、居ただろうか。
ヒジャブを被る生徒なんて、この学校に居たんだろうか。
私は初めて見るその女子生徒に困惑した。
彼女は、伏せ目で私の横を通り過ぎた。
しずしずと、ゆっくりと。
いや、きっと居たんだろう。
私が来るよりずっと前から。
ヒジャブを被って居たんだろう。
私も何度かすれ違っていたのかも知れない。
あの事件が、彼女の存在をクッキリと浮かび上がらせたのだと気づいた。
ターバン巻のタオルにパーティーが凍りついたように、ヒジャブに私は凍りついたのだ。
それから、彼女をよく見かけるようになった。
廊下で、
トイレで、
カフェテリアで。
彼女はいつも一人だった。
彼女の顔をあまり思い出せないのは、ヒジャブで少し隠れていたからだろうか。いつも伏せ目がちだったからだろうか。話したことがなかったからだろうか。
答えは、私がいつも、後ろ姿を見ていたからだ。
前方からこちらに歩いてくる彼女を、私は真正面から見ようとしなかった。
話しかけるなんて、出来そうにもなかった。
いつも、彼女がしずしずと横を通り過ぎるのを待って、しばらくしてから私は振り返るのだった。
私の記憶の中で、彼女はいつも後ろ姿だった。
∇∇∇
あの事件の犯人が、アジア人だったら。
私に友達は出来ていただろうか。
隠しきれないこの髪の色と、この肌の色を私は認められただろうか。
無機質な床面だけを見て過ごしたんだろうか。
皆が私を振り返って見たんだろうか。
あの暗い世界を歩き切れただろうか。
あの色の中を泳ぎきれただろうか。
毎年、あの日が来ると、私は16歳に戻る。
だだっ広いあの廊下に戻る。
暗く燃えるあの色が戻る。
ぎこちなく振り返るだけの、
あの子の後ろ姿をただ見つめるだけの、私に戻る。
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