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【一度でもあの景色を見れただろうか】

気づいたら鎌倉にいた。
ぽっかりと空いたバイトのシフト表を見て、気づいたら電車に乗っていたのだ。
いつも、こうだ。
後先考えないから、期待感と焦燥感に負けてしまうから、ほら今日台風が来るというニュースも忘れて鎌倉に来てしまった。

鎌倉ひとり旅・ノンフィクション──20年以上前の報国寺

         ∇∇∇

ガイドブックで見た、竹が生い茂る写真がずっと気になっていた。
鎌倉駅から出て見渡すと人ひとり居らず、雨と風の中、新聞紙だけが舞っている。
東京の自宅を出たときは晴れてたのに…あ、そうだ、これ台風か。そういえば今朝の天気予報で言ってたな、と気づく。

ここまで来てしまったんだからもうしょうがない、とバスに乗り込む。
人ひとり居ない車内。
運転手が、どちらまで、と訊く。
「えっと、あの…。」寺の名前が思い出せない。私は、ガサガサとガイドブックを広げてあの竹が生い茂るページを探す。
「あの…、竹がたくさん生えてる…」
「ああ竹寺ね。」
そのまんまのネーミングだった。ほっと座席に腰掛ける私に運転手がまた訊く。

「ほんとに行くのかい、お客さん……。」

巨大なワイパーにごっそりごっそりかき分けられる雨を見ながら運転手が続ける。

「まあ、この台風ももう少しでいなくなるみたいだから。そのうち、晴れるよ。」
バスはゆっくり走り出した。

私は、丸めていたガイドブックを再び広げる。竹の生い茂るそのページには、「報国寺」と書かれてある。そこで初めて「竹寺」というのは地元の呼び名なのだと気づいた。

         ∇∇∇

「はい〜、お客さん、着いたよ竹寺。」

いそいそと降りて少し雨宿りをした。台風の日に傘すら持たずに竹寺を目指す女。
しかし、少し経つと運転手の言った通り、雨は小粒になり、落ちる速度もゆっくりになってきた。空が少し明るくなった気がする。私は、竹寺へと歩き出す。

「あの、初めてで……。」
抜けきらない台風と共に現れた女に、そう心許なくつぶやかれた受付の女性は、「奥に、お茶とお茶菓子を召し上がれる小さな所もありますので。」と微笑んだ。

雨に濡れた砂利をザクザクと踏んで奥へ進んでいると、程なくして私はフッと空気が変わるのを感じた。
目の前に広がる一面の竹。
迷いなく真っ直ぐに天へと伸びる幾数もの竹。
エネルギーが、この空間にエネルギーが充満している。
私はそっと一本の竹に触れた。
どうしても触れたくなった。

        ∇∇∇

お茶とお茶菓子を受け取り、椅子に座って初めて空が光っているのに気づいた。
台風は行ったのだ。
物凄いスピードで。どこか遠くへ。
地面を叩きつけていた大雨だろうか、太陽の光を浴びて、崖の上から数本の筋がキラキラと地面に落下していた。
風は止み、数え切れないほどの竹が真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに私を囲んでいた。
細い雨の滝が降り注ぐ音を聞きながら天を仰ぐ。
なんて青くて緑で透明で金色なこの世界。
誰も居ない竹寺で、この時の私は完全無欠で満たされていた。
洗いざらしで浄化されて、まっさらだった。

        ∇∇∇

あの光景が忘れられずに、数年後私はまた竹寺に降り立った。あの頃ひとりでふらりと旅した私ではなく、もう妻となり母となった私として。
友人と家族を連れて訪れたのは、あの趣のある竹寺を彼らに見せたかったからだ。
しかし、多くの観光客に混ざり、夕方の薄暗い中、竹と竹の間をぐるぐると歩き回っただけだった。
あの日感じたエネルギーは、全く漂っていなかった。

あの日、台風のあの日に急いで電車に飛び乗ったのには、あの焦燥感には、理由があったのかも知れないとかこつけてみる。
あんなに眩しい竹寺をひとり占めしたあの日。
溢れんばかりのエネルギーを全身に吸い込んだあの日。

自然が見せた表情の一面に過ぎないことは知っている。何気ない一部だろうことは知っている。
ただ、そのなんでもない景色が私の中に染み入って、その後何度も蘇っては私を癒やしていった。

        ∇∇∇

後にこの竹寺は、足利家時が開基した寺だったと知った。
また、永享の乱において足利義久がわずか10歳で自刃した寺だったことを知った。

足利家時は、台風一過の輝く緑と水の色を見て、此処に決めたのではないだろうかと勝手に考えたりした。
足利義久は、短い生涯、一度でも全てを洗い流すようなあの景色を見れただろうかと勝手に問いかけてみたりした。

 






ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!