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【14歳の私がジッと見ている】

一瞬で、部屋全体が凍りついたのが分かった。
4人は無言で立ち尽くした。
さっきまでは心地よい空間だったのに、温度だったのに、それは一瞬で壊れてしまった。
壊してしまったのは外でもないこの私だった。

[バンクーバー・ノンフィクション──中学時代の海外研修より]

         ∇∇∇

その日、私はお弁当箱のようなものをホストマザーから受け取った。
食べてみて。と彼女は言った。
蓋を開けると、まだホカホカに温かい米が見えた。立ち昇る湯気は、バターと醤油の匂いがした。
私は渡されたフォークでひとくち食べてみた。
米にバターはビックリだけど、懐かしい醤油の味に日本人のDNAはシッカリと反応した。

私が美味しいと発するよりも早く、ホストマザーが訊いてきた。
『どう?日本の味でしょ、違うかな?』

“違うかな?”
これは即否定しなければいけない。

そんなことないよ!ちゃんと日本の味してるよ!
そんな強い思いを胸に、大声で、食い気味に私は言った。大声で。
『NO!!!』

その瞬間だった。
全ては凍りついたのだ。
あんなに香ばしい味も、あんなに温かい湯気も、一瞬で、無になる。
そんな魔法のような、いや黒魔術のような事が起こるなんて知らなかった。
私の何が悪かったのかは分からない。
でも、私の一言が原因なのだけは分かった。
ただ、私にはこの重く凍てついた空気をひっくり返す方法が全く分からなかった。

         ∇∇∇

1年後──。
私は中学3年になっていた。黒板には“付加疑問文”と書かれてある。

『会話の中で友達に、〜だよね?って同意を求めることありますよね。そんな便利な表現だから、覚えましょう。』
29歳、独身、美人な英語の教師はニッコリと笑った。

It is your hat, isn't it?
直訳すると、
それはあなたの帽子です。違いますか?

『でも、これはこう訳します。“それはあなたの帽子ですよね?”』
そして続けた。

『合ってるならyes、違うならNoで答えます。最後のisn't it?に対して答えるのではありませんよ。』

稲妻は放たれた。
私は1年前のバンクーバー、イラン人ホストファミリー宅のリビングに立ち尽くしていた。
酷く凍てついたあの場所に。

これだったのだ。
ホストマザーは付加疑問文というものを使ったのだ。
日本の味みたいでしょ?と聞いてきたのだ。
私の答えはYesだったのだ。
それを私は大声で否定したのだ。
NO!!!と一蹴。
全然似ても似つかない!こんなの1ミリも日本の味じゃない!とでも言うように。
食い気味に。かぶせ気味に。

思い出した。
ホストマザーがひとこと、うつむきながら『そう…』と言ったあの声を。
ホストファザーとシスターの、床に落とされた気まずそうな視線を。

イラン人には到底必要のない醤油をわざわざ輸入スーパーかどっかで買ってきてくれたんだろう。
大量に残った醤油のボトルをホストマザーはどうしたんだろう。

私は帰宅後、国際電話をかけた。

明るく盛り上がる彼らと近況を話したりした。

謝りたくてかけた電話だったのに、迷って言いかけて、結局謝れなかった。
謝れずに電話は終わった。
曖昧な笑顔で電話は終わった。

付加疑問文の仕組みや、私が勘違いした経緯を、どう英語で説明すればいいのか分からなかった、というのが当時の私の理由だった。
言い訳だった。

 
         ∇∇∇

大人になった私は、入社してきた若い女の子の教育担当にあてがわれた。
何でも濁して曖昧に笑う私とは真逆で、分からない所は説明を遮ってでも訊いてくる、そんな子だった。
上司にも意見を言い、冗談で大笑いし、古いやり方を『これ効率的じゃないっすね』とバサバサ斬った。

彼女は話を中断することがよくあった。
『あっ、すいません、そうじゃなくって、』
『ごめんなさい、私が言ってるのは、』

何か、うまく伝わってないな、勘違いしてるな、と思うとすぐさま話を止めて軌道修正するのだった。

私にはこれが出来なかった。

盛り上がってる話の腰を折るのが怖くて、違うんですよと否定するのが怖くて、出来なかった。
いつだって、流されながら曖昧に笑ってきた。

きっと、彼女なら、付加疑問文なんて知らなくてもあの氷のような空気をひっくり返せたんだろう。

『えっ、なんか間違えた?いやいや、おいしいよ!!ジャパニーズテイストよ!!グッドグッド!!』とか何とか言って、ワハハと笑うに違いない。
『センキューセンキュー!』とハグまでするに違いない。
『ワンモアプリーズ!』とおかわりまでするに違いない。

私には出来なかった。
いや、今でも出来ない。

凍てついたリビングで立ち尽くすだけの、受話器を握りしめて愛想笑いするだけの、あの頃と何も変わっていない。

そんな体だけ大人になった私を、14歳の私がジッと見ている。

ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!