PIECESさんの「優しい間」について
MITのダニエル・キムさんが、関係の質→思考の質→行動の質→成果の質→関係の質...という成功循環モデルを唱えていらっしゃるのはご存知の方が多いと思います。
この理論は、営利組織や非営利組織の成功循環の文脈で語られることが多いと思いますが、今、不寛容の時代、分断の時代といわれる地域社会に、このサイクルを当てはめて考えてみました。
保育園や幼稚園の子供の声がうるさい、夏(夏ですよ!)に近隣の風鈴がうるさい、といった苦情が行政に届く。そんなニュースにびっくりした方も多いのではないでしょうか。私が最近、とてもびっくりしたのは、とある地方のSSW(スクールソーシャルワーカー)から聞いた話です。「近くの公園で中学生たちが何をするでもなく集まっているので、(不穏だから)なんとかしてくれ」という苦情。公園って遊んだりぼーっとしたりする場所・・・じゃなかったのかしら。
こういった行動が何を生むのか、といえば、風鈴の音は防音のサッシュを締め切ってご家庭内でお楽しみください、という指導?助言?や、保育園や幼稚園では園庭での遊びを縮小するとか、近所の人たちのことを考えて静かに遊びましょう、といった指導。ただ公園でタムロしていただけの中学生が、「共に居る」ことを奪われて、家に帰れ、と指導される。
なんだか世知辛い、というか、寂しいというか。無味乾燥な、つねに周りの人の目を気にして、家の扉から一歩外に出たら、緊張して過ごしていなければならないような、そんなギスギスした社会が、都市では当たり前になりつつあるように感じます。
これが地域社会における「成果の質」だとすると、その根っこにあるのは、ダニエル・キムさんの読み解きを借りれば、近隣の人との「関係の質」や、その「関係の質」から生まれる「思考の質」が、ネガティブループに入っているから、行政への苦情といった「行動の質」に表れ、こういう「結果の質」を生んでいる。そういう見方も成り立つ、と感じます。
さて。そんな地域社会の中で、私の関心事は子どもです。
今、こどもの相対的貧困が日本でも話題になっています。相対的貧困は、まだかなり計測可能なものなので、一定の可視化が可能です。だからこそ、課題認識がある程度共有できています。しかし、相対的貧困に該当する子どもたちはもちろん、該当しない子どもたちにも、今の社会の「生きにくさ」はさらに暗い影を落としていると私は感じています。たとえば一部の調査では、子どもが居場所を持てなかったり、相談相手を持てなかったりする状況が部分的に可視化されていますが、それが子どものwell-beingにどれだけの悪影響を与えているか、子どもたちの未来・人生にどのような暗い影を落とすのか。それを想像すると、私はゾッとするのです。
とはいえ、このような地域社会を作り出しているのは、政府でもなく、巨大グローバル資本でもなく、地域社会に住んでいる私たち地域住民ではないか。私たちの意識的な思考、感情、思い、その背景にある無意識的なメンタルモデル。それらが、今のこの地域社会を作り出しているのだ、と私は考えます。村上春樹さんが、ビッグブラザーの時代からリトル・ピープルの時代へ、と示した文脈をイメージしているのですが、ひとりひとりの心が、ギスギスしなくなるようにならなければ、ギスギスした地域社会は変容できない、と確信しているのです。
私が出会った認定NPO法人PIECESさんは、Citizenship for Children(CforC)というプログラムを通じて、「優しい間」を市民=地域住民に浸透させたい、と考え、地味な地味な活動を進めていらっしゃいます。子どもたちに対する直接の支援ではなく、市民性の醸成こそが、子どもたちと私たち市民の《持続可能なwell-being》に至る唯一の経路だ、と確信されているのだと思います。
このアプローチは、体調不調に陥った方に、薬の処方や治療といった医療行為をするのではなく、まずウォーキング、次はジョギングをやってみましょう。と勧めるような、遠回りだったり、まどろっこしさのようなものを感じますが、私は王道なのだと感じています。
なぜなら、「行動の質」「結果の質」を変えるには、まず「関係の質」を変更する必要があり、「関係の質」が良くなれば、好循環が回り始めるから・・・。
私自身も、CforC2020のプログラムに参加しました。「優しい間」を作るための基礎体力強化は、想像していたものよりずっと深く、重く、大変でした。けれども、実に自分自身の人生の宝、とも言える気付き・学びに満ちていました。
ただし、気付きや学びが深まっていけばいくほど、「分け入っても分け入っても青い山」状態で、葛藤や不安定さはつねに動き続け、安定はしません。受講前より、ずっと葛藤マシマシ、不安定感マシマシ。大豚ダブルカラメです。ですが、それこそが、アクティブラーナーであるということですし、アンラーン(学びほぐし)ができている、ということなのかもしれないね、と思っています。
PIECESさんは、「葛藤レジリエンス」などということを口走る集団なので、これは一生続くことなのかな、という覚悟ができてきました。
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