ヤンキーと地元: 解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち/打越正行

「ヤンキーと地元: 解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち」を読んだ。

他の作品を読んだわけではないのだが、沖縄を地元とする所謂「ヤンキー」の生活の様子、実態について、これほど真に迫れた本は他にないように思う。

それは、著者がインタビューやアンケートのような間口の広い手段ではなく、「参与観察」という方法をとったことが大きい。コンビニでたむろする彼らに声をかけ、パシリとして働きかける中で、いつしか彼らの一員として、行動を共にするようになる。

その中で得た生きた情報からは、沖縄に住む彼らの、よりリアルな息遣いを感じることができる。エピソードはどれも壮絶だが、特に印象に残ったのは、沖縄で生きることに対しての閉塞感である。

「しーじゃとうっとぅ(先輩と後輩)」の関係からなる閉塞感。学校でも、仕事に出ても、地元に縛られ続ける閉塞感。本土へ「キセツ」に行っても得られるものも少なく、危険な仕事も多い。

高度経済成長期とは違い、今では「キセツ」と呼ばれる内地での出稼ぎも意味を変えていて、昔のような人脈や技術を得るような手立ても少しずつ失われていくようだ。

そんな現状は沖縄で暮らす彼らにとって、どうしようもない行き詰まりを感じさせる。
カジキ漁に1ヶ月行ってたった14万しか渡されず、その間中ずっと自分をいじめていた漁師をぶちのめしたというマナブの言からは、現代の蟹工船を思わせた。

そして本書は、最後に彼らとの出会いと別れ、暴走族たちの時代の変遷を振り返って締めくくるのだが、通り一遍な「沖縄の貧困問題」などを語ることなく、最後までミクロな視点をもっていたところが好感を持てた。

著者はあくまで、彼らと同じ立場に立ちながら、真摯にこの問題を見つめていたのだということが、そのことからもわかる。
社会学、文化人類学者としての目線を持ちながら、調査対象に対して、人間として敬意を払うその態度が、暴走族やヤンキーといった人種が著者に心を開き、有意義な調査をさせてくれたことに繋がっているのだ。

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