日本語ラップと日本語
私は日本語ラップが大好きで、なぜ好きかというと、単にカッコいいからというのと、日本語の可能性をひろげている文化だと思うからだ。
というのは、日本語は読み書きでいうと書き言葉に向いていて韻が踏みにくい言語であるというのをどこがで聞いた。感覚として納得したので真偽はおいておくが、その言語で韻を踏んでいるのは見事であるし、また、五十音字でひとつの文字にひとつの音が割り振られている言語は音楽で心地良くしようと思うと、音を伸ばす方が簡単だと思うのだが、近年の日本語ラップはこれに逆らって短いスパンにたくさんの言葉を入れて心地良さを保っている。
ひとつずつ例を挙げて説明すると、英語であれば接尾辞とか接頭辞とかがあって
cation proportion nation occasion
とか
transform translate transfer
とか
…
韻を踏もうと思ったらいくらでも思いつく。日本語はたしかに日本人、アメリカ人、中国人、ドイツ人のように「〇〇人」でくくる接尾辞(といってしまっていいかわからない)はあるが、これで踏んでも何かを主張するような文章として成立しないのであまり意味がない。だからGADOROのような歌詞は相当頑張らないと書くことができない。
また日本語は音を伸ばして心地良くするという話であるが、たとえば国歌の場合、
たったこれだけを1分以上かけて歌う。からくりは簡単で一文字一文字を伸ばして歌う。「きーみーがーあーよーおーはー」というように。それでいて気持ちがいい。演歌も百人一首の読みも同じ原理だ。
これは余談だが、J-POPの歌詞に英語が多いのは曲のテンポに日本語が合っていないために間に合わせで英語を用いているのではないかと思う。
Creepy Nutsがすごいのはなるべく日本語で歌詞を書いて早いテンポで歌っているところ。言語の可能性を探っている感じがして興味深い。それが不良の文化だっていうのが最高なんだな。