鶏もも肉のコンフィ〜
『わからなさの只中にいるときは、なかなか自信をもてない。』尹雄大
自信が持てないということは、なかなか大きな弱点だと最近気付いた。単純に、自分に自信のない人はモテないからね。
その原因を、他人のせいにしてみたいと思う。まず、学校教育が悪い。周りと比較して、自分の不得意なことに気づく。そして、人によっては歌を歌わなくなる、絵を描かなくなる。スポーツとは無縁の生活を選び、勉強を嫌悪するようになる。他人(ひと)よりできないことが恥ずかしいから。
『むしろ下手くそなのに伝わったら、そのほうがインパクトをもつこともある。』遠藤まめた
上手さの価値って、どんどん下がってきていると思う。もちろん土台となる技術は必要だけど。
じゃあ何が大事かというと、違和感じゃないかな。すんなり理解できない、全然意味がわからないのに、なぜか惹きつけられるもの。美術館に行ったり、映画を観たりするのは、リラックスするためじゃないんだよ。わけわかんないものに出会うために行くんだ。
『わからないことをわからないままにわかることができるし、表現できる。そこには正誤もなく、表すという行為がただちに理解になっています。』尹雄大
「私には現代美術はわからない。」「ゴダールとかトリュフォーとか、面白くないでしょう。」
正しく理解しなければならない、という前提に立つと、敷居の高そうなものは厭うようになる。大衆映画ばかり見るひとは、自信がないんだろう。
だけど、わからないままに何かを感じることはできるし、その感じたことは全て正しい。本人にとって。
他人がそれを、正しい/間違ってるなんて、決めることはできないよ。というかそもそも、芸術の正しい理解ってなんだ?そんなものはござんせん。
(なんだか偉そうになりました、すみません。)
自信の話。
自分に自信を持てないのは、社会的な評価がないからなのかな。じゃあ逆に、一部上場企業に勤めて、正社員で年収が1000万くらいあって、結婚してマイホームに住んでいれば自信を持てるのか。少なくとも親は大喜びだ。というかウチの親は、帰省する度に、いまの仕事や生き方を否定して、この「大企業に就職」のルートを選ぶよう誘導してくる。本人の自信をなくさせて、操作しやすくしたいのだろうな。親ナビタイムは。
『どうして既存の物差しで、自分の人生がくだるかくだらないかを測ろうとするのか。あなたの中のその価値観は、あなたが嫌悪する「大人たち」の価値観だろう。なぜ嫌悪しながらその物差しに従おうとするのか。』なべぼっと
『私たちは、何かをすれば、何かを知れば自信がつくと思っているけれど、それはかなり見当違いなのかもしれない。新たになにかを獲得するべく努力するよりも、身につけてしまった思い込みを外しさえすればいいのではないか。』尹雄大
じゃあ逆に、自分が自信で満ちているときっていつだろう。それは、自分で何かつくったり、自らの意思決定により行動したときだ。それらは既存の物差しとは無関係で、他人の評価も気にしていない。完全に独立している。
そうか、
自分でどんどん動けば良いのか。周りを見ずに。ナビタイムを無視して。進む方向が最短ルートかどうかとかどうでも良いんだよな。目的地なんか無いし。最初に設計図を引いて、その通りに組み立てていく行為は、設計図の奴隷じゃないか。そうじゃなくて、わらしべ長者的な自由さで行くんだよ。
『「前」という方向は、別に壁に向かって固定されているわけではない。くるりと転身すれば、どこでもそれが前になるはずだ。私が向かう先が前で、それはいつだって自分次第なのだ。自分の周囲にはいつも空間が広がっているのだから、本当は自由に動けるはずだ。』尹雄大
なぜ、自分の思うがままに、自由に動けなくなってしまったのかというと、気がつかないうちに萎縮させられていたんだろうな。すごく肩が凝る。生きていて、身体が窮屈に感じるもん。
それは、ちゃんとした人間であろうとすればするほど、ルールやマナーを守り、空気を読み、先生や上司の指示に従い、周囲との調和を保つ。社会生活において、我がままな行為は許されない。
そうして、上の人間の思い通りに動く、優秀な奴隷が完成する。
いつからか、他人から褒められることってほとんどなくなった。赤ちゃんのときは、褒められまくりだったのに。えらい、かわいい、えらい、かわいい。
でも、例えば、(実際に仕事をしていて気づいたのは、) 後輩とうまく仕事をするコツは、細かな指示を与えて、一挙手一投足を思い通りに動かすことではなくて、ささいなことでも褒めて、自信をつけさせ、後輩くんが自らの頭で考え行動できるようにすることなんだよな。
萎縮させるようなことを言うのは、絶対に間違っている。
何かができたから、自信が付くんじゃないんだよな。順番が逆だ。自分に自信を持つことができれば、自らどんどん動くことができる。自分の頭で考えて、意思決定を行える。そしてそれは、とても気分の良いことだ。
『わからないけど、どこかわからないところに向かってるけど、明日も明後日も明々後日もあって、その途中にいるっていうことが、愛おしいことなんだ、だから俺は、全肯定なんだ。』佐内正史
『見えない方へ手のなる方へすすんでくんだ(原文ママ) 僕は絶対迷わない 僕は絶対余裕じゃない』中村一義
わからなさの只中にいるときは、なかなか自信を持てない。たしかにそう。誰かの視線を感じると、知らず知らずに身体が萎縮してしまう。
それでも、自信をもっていい。無根拠でも、自分を全肯定していい。そうすれば、身体が動くようになる。凝りがほぐれ、固まっていた筋肉と、きんにくんが動き出す。パワー。
余裕に生きられるようになんてならないよ。わらしべ的な生き方をしているんだから。
しかも、次に何がくるかわからない。わけわかんないものがくるかも、全く理解できないものと藁(わら)を交換する羽目になるかも。
楽しみだね。
違和感だらけの、下手くそな人生を生きたい。
◎今日のてってさん
油揚げを焼いて、醤油をかけただけのものをつまみに、ビールを飲んでいます。イヤホンでオードリーの深夜ラジオを聴いて、笑っています。