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人生の目的を明確にする3
世の中は等価交換
このテーマだけで、結構続いているのですが、根幹であり最重要な部分なのでもうちょっと続けていきます。
人生を「外を歩く」ということに喩えたとき、その目的は「どこか目的地に行く」ということである場合もあれば、目的地を決めずに「歩くこと自体を楽しむ散歩」という場合もあります。
どちらが正しいということもありません。
ただ、どこに行くかを明確にしないままブラブラと歩いているだけで富士山の頂上に登っていたという人は殆どいないでしょうし、いつの間にかディズニーシーに行って楽しく遊んでいたということもありえないでしょう。
やはりそれは、そこに行くと言う確固とした目的意識を持ち、準備して行動した人たちの方がずっと実現しやすくなるというのは確かです。
大きな結果が欲しければ、それに見合うコスト(準備、行動、お金など)を支払うのは当然のことで、世の中は基本的に【等価交換】で成り立っています。
対価を支払うことなく、結果だけを欲しがるというのは無理な話です。
ところが一部の人たち(ひょっとすると多くの人たち)は、準備する、行動するというコストを支払うこと無しに結果だけを欲しがり、そのような人たちを食い物にしようとする人たちは、耳に心地良いことだけを囁いてカモたちの持つお金や時間を搾取します。
人間は見たいものを見て、聞きたいことを聞く
価値工学という学問の中では、製品の価値を
価値(V) = 機能(F)÷ コスト(C)
として表します。
これに基づいて、人生の価値を考えて見るとするなら、人生の価値を上げるには、コストをかけずに幸福度が高くなるように動けば良く、人間がなるべくコストをかけずに幸福感を上げたいという方向に惹かれていくというのは無理もない話ではあります。
つまり、これはどういうことかと言えば、
「◯◯するだけで」幸せになれる
「たった◯日で」成功できる
などといったインスタントな方法論を語ってくれる人の言葉に、人間は簡単に騙されてしまうということです。
同じだけの幸福度が得られるのであれば、コスト(金銭、時間、努力等の諸々です)をかけずに得られる方が良いに決まっています。
人は自分の見たいものを見て、聞きたいことを聞きます。
言い換えるなら「自分にとって都合の良い」ことを受け入れるということです。
楽して幸せになりたい
→ どこかにそんな方法があったら良いな、あるに違いない
そんなことを考えている人にとって、上に書いたようなお手軽お気楽でインスタントな方法を伝えてくれる人は
「待っていた真実を伝えてくれる人」にしか見えません。
単に自分に都合の良いことを言ってくれているだけなんですけどね。
マーケティング的に言えば、顧客のニーズに応えているということで、ある意味正しい活動と言えなくもない(まあ、広告の反応が良いだけで、手に入る商品の価値が顧客ニーズに合っているかどうかというのは別に考える必要がありますが…)。
買い物とのアナロジー(類似性)を考えてみる
人生の目的を考え、それを実現するために、「買い物」とのアナロジーでちょっと考えてみましょう。
買い物をするときには
何が欲しいか・必要なのかを決める
その商品・サービスのことを調べる
お金を払う
手に入れる
ということをすると思います。
まず、何が必要なのか?欲しいのか?を明確にしなければなりません。
ところがこれが良くわからないという人もたまにいたりします。
人から勧められるままに何かが欲しくなってしまう人、人が持っている物がすぐに欲しくなってしまう人、必要もないのに色々と買い込んでしまう人
などなど…。
そもそも自分にとって必要無いものであれば、購入する必要も無い。
他の人が持っていても、それはその人の価値観で購入したもの。自分には関係ないですよね。
そこがしっかりと考えられているかどうか?
次に、その商品やサービスのことを良く調べてみます。
手に入れたときの効果・効能はどのようなものか?どのくらいあるのか?
他のユーザーの評判は?
宣伝されている広告に嘘、偽りは無いか?
他のもので代替できるのか?できないのか?
など。
お金を払う。
手に入れられるお店に行って、必要な金額を支払います。
足りなければ働いてお金を貯めたりしますし、限定発売であれば、頑張って並んだりします。
何かを手に入れるためにはコストが必要ということです。
最終的に手に入れられたら、それを手に入れたことによるメリットを享受します。
食べたり使ったり、旅行などであれば楽しんだり。
お金を支払っても、入手できていないということが無いように、どうなっていれば欲しかったものが手に入ったと言えるかについてもしっかり考えましょう。
さて、ここまで書いてきましたが、実は「何が欲しいか」、人生で言えば「人生の目的」そのものがよくわからないという人もたまに見かけます。
自分自身でわからなければ、他の人にもわかりませんが(笑)、そういうひとは得てして、他の人に与えられた価値観により虚構の目的を自分の目的と錯覚してしまっていることも多いように思えます。
親や友人・知人など、周りから与えられた価値観や、伝統的な文化・価値観などで作られた目的であり、自分自身で考えたものではないにも関わらず、それを自分の人生の目的と錯覚してしまう。
当然、その目的が達成されたとしても満たされることは無いでしょう。
では、自分の人生の目的を明確にするには、どうしたら良いのかについても別記事で書いてみたいと思います。