人生の目的を明確にする2
Why, What, How
前の記事では、人生の目的を明確にすることの大切さについて簡単に説明しました。
人生には、
自分の力が及ぶこと
自分では如何ともしがたいこと
の両方がありえます。
そして、当然のことながら、自分では如何ともしがたいことについては人事を尽くして天運を待つといったことしかできないわけです。
そのような領域に対して、的外れな方法で何とかしようとしても時間のムダでしかありませんし、自分に都合の良いことばかり起こる訳が無いということは、少し考えればわかると思います。
それであれば、あとは自分の力が及ぶ範囲を広げて行き、その範囲内でできることをやっていくしかない。
それを効果的に実施するために、自らの人生の目的を明確に意識しておくというのが必須だと思います。
より良く行きていくためには、
人生の目的を知り(Why)
目的を達成するには何をしなければならないかを知り(What)
どのように実施すれば良いかを知る(How)
ということが大切です。
ややもすると、人生そのものという大きなレベルではなく、普段の仕事でさえ、人はこれらについて意識することなく、3つめの「どのようにすれば良いか」という部分にだけ意識を向けてしまいがちです。
何のために実施しているのか、何をしなければならないかということに意識を向けることなく、単純に「どうしたら良いのか」ということだけを気にしてしまう。
当然、それが正しいのか?効率的なのか?ということの判断ができず、単に言われたことを無批判に実行するだけのロボットのような人生になってしまいます。
前記事で、人生の目的は「幸せになること」と書きましたが、抽象化を進めていくと、その目的は万人にとって正しかったとしても、解像度を高め、具体化していくに従って、目的は人それぞれになっていき、ずれが生じてきます。
ある人にとっての幸せが、必ずしも他の人の幸せとは限らないからです。
少し考えてみれば当然のことでしかないのですが、目的も目標も明確にせず、"How to"にだけフォーカスするとそこに気づくことなく無駄な活動を延々と続けることになります。
ちょっと例を考えてみましょう
AさんとBさんは、オリンピックで金メダルを取るのが目標だとします。
Aさんはクレイ射撃でオリンピックに出たい。
Bさんはマラソンでオリンピックに出たいとしたらどうでしょう?
AさんがBさんのやっている練習をしても金メダルは取れないでしょうし、逆もまた然りでしょう。
ところが実際には、こんなことが普通に行われています。
何に役立つのか、何のためにやっているのか理解しないまま、だれかに言われたこと、どこかで見聞きしたことを考え無しにやっているだけの人をよく見掛けます。
数年前に書いたブログです
この中では、盲目的に何かを受け入れ、それに踊らされることの虚しさについて書いています。
もし、僕が誰かに対して「より良く生きるためにどうしたら良いか」ということを一言で伝えるなら
考えること
と伝えるでしょう。
ある意味、それが良く生きるための唯一の方法だと言えます。