
SINIC理論メタ実践プログラム 2日目 〜 芸能の歴史 〜 日本文化のオモテとウラ
はじめに
この記事は、『サイニック理論/メタ実践プログラム(第1期)』の発表課題として私自身が深掘った業界史をテキスト化したものです。このプログラムの目的は『サイニック理論の社会実装=各社固有の未来計画の立案と実践』で、株式会社青い街の杉岡一樹氏が考案したものを、一般社団法人 経営実践研究会と杉岡氏の共催で実現しました。プログラムは全4回で、今回は2回目になります。
1日目 自分史
2日目 業界の歴史研究 ← 今回ココ
3日目 未来予測
4日目 段階計画
内容の理解のしやすさについては、プログラムの前提であるサイニック理論の基礎を押さえてからの方が容易とは思いますが、できる限りどなたにでも理解できるよう多少筆を加えましたので安心して読み進めてください。
発表当日は、全く異なる業界に身を置く9名の経営者が、それぞれの業界史について調べ発表を行いました。そのような背景もあり、芸能が関心の対象外の方にもスムーズに話に入っていただけるよう、芸能が私たちの日常生活や仕事の中でどのような役割を果たしているのか?の考察からスタートしました。
身近な4つの効能から紐解く

1つ目は、つながりと幸せです。人と人とをつなぐ。人と自然をつなぐ。そして人や自然とのつながりによって生まれる感謝・幸福感であったり、共同体をつなぎ支えるものです。
2つ目は娯楽です。知的好奇心を満たすもの。それから、エンターテインメント 。エンターテインメントという言葉は中世ラテン語に起源があり、「時間を過ごす」という意味を持ち、その後変遷しています。
「entertainment」の語源は、中世ラテン語の「intertenere」に遡る。この言葉は「時間を過ごす」という意味を持っていた。その後、フランス語の「entretenir」に変化した。フランス語の「entretenir」は、時間を過ごすことを意味するだけでなく、「何かを維持する」ことも意味した。やがてこの単語は英語に「entertain」という動詞として取り込まれ、時間を過ごすだけでなく、「人々を楽しませる」こと、「喜ばせる」ことも意味するようになった。
3つ目が癒しです。芸能によって心が浄化される(カタルシス)ことは、古代ギリシャ演劇に関する記述から読み解くことができます。
4つ目の効果として、物語・成長に関することがあります。物語には、起きた出来事を記録し、人々の記憶に残し、行動を変容する効果があります。少なくとも古代には、人類は物語を通して倫理的・道徳的な事柄を教育したり、哲学的な問いかけやクリティカルな議論をしたなどの記録が残っています。
物語として非常に短く、且つ完成度が高いのが〝ことわざ〟です。誰もが知っている「急がば回れ」は瞬時に記憶に残り、気持ちが急いて前のめりになっている時にスッと思い出され「落ち着け、こんな時ほど急がば回れだ」と行動を変容させます。
このように用いられるストーリーテリングという手法は形を変え進化し続け、今も私たちの行動に影響を与えています。資本主義社会である現在は、企業がストーリーテリングを資本を増やすためのセールス、マーケティング、ブランディング、広告などに頻繁に使っており、私たちが物語に触れない日は皆無です。
芸能の役割と定義
これら4つの効能がある中で、「そもそも芸能とはなんだろうか?」という芸能の定義について、発表に当たって真剣に調べました。様々な定義を精査した結果、今日は以下の定義で話を進めさせていただきます。

芸能とは上記のように、人間の身体を持って出力するものです。では、そもそも何のためにこれらの所作を行ったのか?まずその起源から見ていきましょう。
芸能の起源
神話に見る芸能の始まり
日本神話と天岩戸伝説

起源を知るうえで参考になるのが、日本神話の天岩戸伝説です。真ん中手前で踊っているのが天鈿女命で、 芸能の神様と言われ、この有名なシーンが神楽の起源、というストーリーになっています。彼女がここで何をしてるかの記述を、古事記に見ることができます。
神懸かりして 胸乳を掻き出で
裳紐を隠におし垂れき
要するに天鈿女命はシャーマンであり、この場面で彼女は日常ではない状態、神がかった状態に入っていますよ、ということを古事記は示しています。
芸能の神がかり的な性質とその役割

このような「神がかった」状態、「狂う」「忘我の境地」、そして「乗る」… 若者がノリがいい悪いって言いますけれども、天鈿女命はシャーマンですからノリがいいことは必須です。シャーマンのノリが悪いと、ムラの存亡に関わるからです。「エビデンスが」とか理屈っぽいシャーマンでは困ってしまいますよね。
さらに「非日常」「憑依」「変身」「仮面」「化粧」。「仮面」は古代からありました。古代ギリシャでは専門化が進み仮面職人がいました。化粧は江戸時代にはじまる歌舞伎の隈取などでイメージが湧きやすいと思います。歌舞伎の化粧も神仏や超人的ヒーローへの変身のために、神がかるためにあるものですね。仮面ライダーも同様と言えるでしょう。
これら神懸かり的状態が、芸能の原点と言えます。では、なぜこのような「神がかった」状態、「憑依」「変身」が必要だったのでしょうか。
原始社会における祭祀と芸能

自然への畏怖と感謝から生まれた祭り
実際の芸能の始まりを見ていきましょう。サイニック理論のダイアグラムを参照すると、1番左側の原始社会になります。私たち人類が、大自然の恐ろしさ、威力に慄き、同時に感謝していた時代です。今も変わりませんが、一切コントロールできない畏怖の対象。それが大自然でした。プラスとマイナス、聖と俗、善と悪、そんなものが混然一体となっていた太古の昔です。そのような時代に祭り(祀り、奉り)をした、いわゆる祭祀をしたのが始まりです。
古代遺跡と芸能の関係

神々と交流するためのスペースは、4,000年前にはあったと言われています。上の写真は青森県の小牧野遺跡のストーンサークル。3,500年ほど前に作られたものであることが、炭素分析でわかるそうです。すごいですよね。
芸能の歴史的変遷
古代ギリシャと芸能の多様化
それから時代を下っていき、紀元前700年頃に氷河期を超えると、芸能の役割がガラッと変わっていく時期を迎えます。その変化がわかりやすいのが古代ギリシャ演劇に見られますので、古代ギリシャにいちど視点を移しましょう。
神々から人へのシフト
芸能の役割の変化とは、喜ばせる対象が神々から人へに移り始めたことです。 それまでは大自然に畏れ慄き、また感謝してた人類が、人を喜ばせることに軸足を移していきます。芸能表現の多様化と言うこともできます。サイニック理論に照らし合わせると、ちょうど人類の価値観が、心(神々)中心から物中心へ、集団中心から個人中心へ移っている最中に当たります。

喜劇と悲劇の誕生とカタルシスの効果

古代ギリシャで、喜劇・悲劇が確立したと言われています。アリストテレスは「悲劇は浄化(カタルシス)の効果を持っている」、そして「観劇は観客が感情を経験し、内面的に成長する機会を与える」という言葉を残しています。現代でも気分が落ち込んでいる友人や肩に力が入りすぎている同僚を見かけたら、「〝泣ける映画〟もしくは〝お笑い〟で気分転換をしたら?」と思いますよね。
ルネサンス期の芸能進化
持つ者と持たざる者
この時期、日本でいうと縄文時代末期から弥生時代に、人類に大きな影響があったのが所有の始まりです。持つ者はさらに持ち、持たない者は持たない。その格差が時間と共に広がっていく。芸能も例外ではなくその影響を受けました。
持つ者(宮廷、宗教、武家)に庇護されて洗練していく芸能と、持たない者の地を這うような土俗的な芸能へと2極化していきます。両者は以降もお互いに影響与え合いながら進化していく道を辿っていきます。
奈良時代には、唐から輸入した律令制度という中央集権的な官僚制度が敷かれます。すでに所有している者(貴族や寺院)がさらに富むシステムですので、サイニック理論でいう、心中心から物中心へ、集団中心から個人中心への移行期と解釈することができます。
ルネサンス期は日本の芸能にとっても百花繚乱の時期です。見ていきますと、 雅楽ですとか、それから猿楽から発展していった能楽。そして文楽。落語は元々は仏教のお坊さんが、庶民にお話を伝えやすくするための説法を、面白おかしいところ、本質的な話、最後ちょっといい話で締めるサンドイッチ話法、その部分が芸能化したのが落語です。歌舞伎は元々は1603年頃、出雲の阿国の歌舞伎おどりがはじまりと言われています。
所有という概念が生まれ、持つ者と持たざる者に分かれていき、その格差が広がったルネサンス期。持つ者(所有者)がどのように芸能を活用したのかを3つに絞って見ていきましょう。

1つ目、 宮廷による権威付けです。当時世界で最も繁栄していた唐から宮廷音楽である雅楽を輸入して、音楽、作曲法などの確立を通じて日本化していきました。それから日本列島の様々な地域の言い伝えをまとめて神話にして、素晴らしい宮廷ですよっていうことをストーリー化することに芸能の力を活用しました。

2つは宗教による勧進興行です。当時の宗教は、現代を生きる私たちの想像をはるかに超える大きな力を持っていました。神社仏閣の建設費や修繕費を集めるために、興行という形で芸能の力を活用したのですね。おまけですが、大相撲の起源も勧進興行です。勧進相撲といいました。もう少し先の江戸時代の話ですけれども。
能楽と世阿弥の功績

3つ目は武家です。のちの茶道、侘び寂び、武士道などに繋がる、日本の美学のベースがこの時期に出来上がったと言われています。大活躍したのが日本を代表するスーパー芸能人の1人、世阿弥です。能楽を大成した人物です。今の能楽の根幹となる幽玄美、それを武家と互いに求め合い、成長していきました。世阿弥を全面的に支援したのが、室町幕府第3代征夷大将軍の足利義満です。
世阿弥さん、本当に様々な功績を残していてすごいです。まず家元制度を考案しました。良し悪しは一旦脇に置いておきますが。
それから『風姿花伝』を始め、数多くの芸能に関する理論書を残しました。ただし、当時は芸能に携わる者はとても身分が低かった。公家から「乞食所業」などと蔑まれていた記録が残っています。なので理論書が、世に出るのは明治16年(1883年)まで400年以上待たなければなりませんでした。「学もない卑しい身分の賎民ごときが、こんな素晴らしい脚本を書けるはずがない」と、世阿弥が書いたと認められなかったのです。所有や定住を好まなかったシャーマンにルーツを持つ人々は、弥生時代以降は長く暗いトンネルの中にいたんですね。
明治になって翻訳され『Kadensho』『Flowering Spirit』として海外に広がっていきました。彼が残した50曲にも及ぶ作品も、同様に明治まで世阿弥作とされませんでしたが、平成12年(2000年)、『西暦1000年から1999年までの〝日本の顔10人〟』で、世阿弥は徳川家康・織田信長に次ぐ得票数で3位を獲得し、偉大な功績が広く世に知られるようになりました。
最後に、曲の構成方法である序破急。元々は雅楽から来ている曲の構成方法なんですけども、世阿弥によって確立されたと言われています。今ではヒットソングの曲構成はもちろん、ハリウッド映画の脚本にもその影響を見つけることができます。
当時の世阿弥の悩みが『風姿花伝』に記されています。ここまで時代を辿ってきて分かりますように、芸能の起源は神々に感謝を捧げるためのものでした。その芸能を、大衆的な娯楽として人々を楽しませることと両立させるのはとても難しい…と悩んでいたんですね。なんとも人間らしいエピソードです。

江戸時代の庶民芸能
1603年、出雲の阿国がはじめたと言われる歌舞伎おどりをルーツに、歌舞伎が発展を遂げました。浄瑠璃も庶民の人気を博し、江戸時代の芸能は表向きには華を感じる時代です。
反骨精神と創造性
こうしてメタ視点で芸能の歴史を辿ってくると、権威に庇護されると必ずその芸能は生命力・創造性を失って没落していくことを繰り返しています。前述の能楽は世阿弥亡き後、武家に囲われ生活が安定したはいいけれどイノベーションは影を潜め、後世に残る様な名曲は生まれなくなりました。江戸時代の歌舞伎は幕府公認ではありましたが、歌舞伎に携わる者は河原者扱いでしたので極めてハングリーでした。
かわら‐もの【河原者】
〘 名詞 〙
① 中世賤民の一つで、平安期以後、河原に住むことを強制された人々。肉体労働や染色、皮なめし、雑芸能などを業とした。室町時代には、隷属関係をもつ寺社の権力を背景に、さまざまの特権を獲得したものもあった。特殊技能者の集団として多様な活動をしたが、一般に蔑称として用いられた。河原の者。河原。
② 歌舞伎役者などをいやしんで呼んだ語。河原乞食。河原役者。河原歌舞伎子。河原の者。
その反骨精神が進化を促したのか、江戸時代は近松門左衛門・鶴屋南北などの人気作家を輩出し、歌舞伎や浄瑠璃が庶民の間で大人気になりました。

当時の歌舞伎は、「河原者風情が体制に批判的で、かつ奢侈僭上の風俗に流れる」という理由で潰されかけています。「天保の改革」で有名な老中・水野忠邦によってです。老中に反対し「拠点を浅草へ強制移転する」ことで何とか歌舞伎を存続させたのが名町奉行の遠山金四郎、ご存知〝遠山の金さん〟です。そういった検閲や取り潰しの目をかいくぐり、時代の最先端を行く前衛的芸術だったのが江戸時代の歌舞伎です。持つ者(所有者)目線ではなく、持たぬ者による地べたから目線が生命力・創造力の源だったのでしょう。当時の常識を揺さぶるアウトローたち…人殺し、盗人、ゆすり、淫売婦などを実に魅力的に活写して常識を揺さぶり、庶民の意識をアップデートしていきました。幕府の目を掻い潜り庶民の意識をアップデートしたこれらムーブメントが、明治維新の土台となったように見えるのは私だけでしょうか。
近代・現代の芸能
近代芸能の光と影
時代が近代へと下っても、わずかでも何かを所有した人間が所有しない人間を下に見る傾向は続きます。メタ視点で見ると滑稽なほどで、まるでシーソーゲームのようです。昭和の名優・三國連太郎さんがこんな言葉を残しています。
私は若い頃、歌舞伎の偉い俳優さんに言われました。「あんたたちは土の上で演技しているが、オイラ歌舞伎役者は檜の舞台で演技しているんだ。だから階級として君たちのような俳優とは身分が違うんだよ」って。その時から俳優と呼ばれることに抵抗を感じるようになったんです(笑い)。だけど、よく考えてみると、歌舞伎も本来は賎民芸能でしょう。

産業革命以降の芸能と技術
人類にとって大きなインパクトとなる産業革命以降、大量消費時代に入ります。サイニック理論で言うところの価値観の変化が見られます。物中心、個人中心という時代です。
労働力の商品化と物質中心主義
かのカールマルクスは言いました。資本主義社会においては、労働力そのものが商品として売買されますと。今我々の暮らす世の中がその通りで驚きます。

前述の三國連太郎さんは、さらにこんな言葉を残しています。
特に戦後は物質中心主義が加速しまして、ひたすら目に見える現象だけを負うようになりました。
蜷川幸雄さんという有名な演出家がいましたけども、彼の演出の特徴の1つに視覚効果がありました。視覚的にインパクトのある舞台装置(物質的)を巧みに使った演出です。巨大な桜の木のセットで膨大な量の桜吹雪を降らせるなどして観客の度肝を抜くのです。時代の風を捉え、演劇界に爪痕を残しました。

録音・録画技術の発展と芸能の変化
この時代、サイニック理論で言うところの工業化社会の技術の進化は、芸能にも非常に興味深い影響を与えました。
元々芸能とは、瞬間芸能と言われる、その瞬間だけ存在するもの、後には残らないものとして数十万年もの時を刻んできました。しかしその瞬間芸能が一時後退し、また復活するということが現在進行形で起きています。体験共有の方法が、技術によって進化したからです。
1876年に電話の発明によってマイクロフォンが生まれたのを皮切りに、録音・録画技術が、わずか150年ほどの間に急発展します。瞬く間にレコードやVHSデオテープなどアナログ技術が生まれ、CD(コンパクトディスク)、DVDなどのデジタル技術が普及して、自宅でも音楽や映画を手軽に鑑賞できるようになりました。さらにNetflixを始めとしたインターネット技術を介した音楽・映画・ドラマ等の共有技術によるサービスが普及しますが、一度パーソナル(個人的)な体験を極めた芸能は、ここから反転していきます。
最適化社会の芸能/螺旋的復活
瞬間芸能の再評価
インターネット技術や様々なデバイスが普及したした結果、その瞬間しかなかったはずの芸能(瞬間芸能)が、録音・録画して見る、個人的に気軽に繰り返し見るものになりました。しかしその瞬間にしかないものを、他の人々とリアルタイムに体験するのは幸せを感じるよねという、価値観の変化が見られます。
いわゆるリアルタイム共有です。さらには技術の螺旋的発展によりアーカイブで「あとから追体験できる」機能も付加しています。瞬間芸能は、1周回って1段上がって復活した趣です。サイニック理論における価値観の遷移で言う、心中心、集団中心と表現することもできます。

新技術とリアルタイム体験の融合
その事例として、最近とても印象的だったのが年末の紅白歌合戦です。B'zという日本のロックユニットが大晦日にNHKホールで起こした現象を、冒頭にお話しした天岩戸伝説風に描写してみましょう。
神懸かりして 稲葉はシャウト
NHKホールの全員が 「超魂」と叫ぶ
その結果、大きなインパクトを残しました。ファンクラブの新規申し込みが推定で1万人あったと言われ、NHKの公式YouTubeチャンネルが異例の500万回再生を記録。また歌い出しの冒頭にマイクトラブルあり、聞こえないはずの歌声がボーカリストの超人的な声量によって聴衆に届いたことが、神懸かり的という評価に繋がったのではないかと言われています。

瞬間芸能はもう不要になったのかと思わせつつ、螺旋的発展をして帰ってきたという事例ですね。
おわりに
技術の発展と再創造の兆し

これまで見てきたように、芸能もサイニック理論の価値観で言えば心中心、集団中心、そして自律社会に入り、益々変化も早く楽しみな時代になったと言えます。8年後である2033年には自然(じねん)社会に入ると言われ、その兆しはあちこちに見ることができます。
私がよく出入りしている茨城県にもその兆しが見られます。小美玉市で2002年から20年以上続く住民ミュージカルの取り組みは本当に素晴らしく、「共に愉しむ」という価値観を大切にする方が増えているものと推察されます。
おとなりの石岡市では2023年に〝おとのわプロジェクト〟が発足し、茨城フラワーパークなどで若い音楽家が活躍しています。
これまでは音楽家も中央集権的といいますか東京一極集中でしたので、若い音楽家の中から「地方で音楽家が活躍できる場を創造する」という自律分散的な動きがあることに驚きを隠せません。
同じく石岡市で毎年9月に行われる〝石岡のおまつり〟には50万人を超える人々が訪れます。人口7万人の普段の石岡市は、つくば市や水戸市からやってきた友人がJR石岡駅で降りて開口一番「石岡、大丈夫?」と心配するほどの寂れぶりなのですが、お祭りの3日間だけは違います。期間中に1年分の売上を上げるとか上げないとかで、経済効果も凄まじい。また、無意識であったとしても起源がご神事であるお祭りに人が強く惹かれるのは、人類が人間中心ではなく、人間以外のすべての命や草木国土(神々)に再び関心を寄せているのではないかと解釈することもできます。

自然(じねん)社会への展望
芸能の歴史を振り返るなかで、日本にもこれまで大きな分断・葛藤があったことが見て取れます。ただ、泥の中に美しい蓮の花が咲くように、善と悪、聖と俗、大きいと小さい、破壊と創造、浄と穢れ、オモテとウラ、先進国と後進国、正と誤、ハレとケ、陰と陽。これらが混然一体としているのは国の創生神話の通りで、これこそが日本なのではと思えました。私たちの根っこにその潜むこの渾然一体が、日本の芸風なのではないかと。

過去を闇雲に否定したり、「〇〇が悪い」と弾糾したり、「革命だ」といきり立って血を流すのではなく、もしくは反対に「〇〇時代は完璧だった」とユートピア思想に浸るでもない。この混然一体としたリアルを受け容れる度量・文化というものが人類の生命力・創造性・モチベーションの源ではないか。逆に言えば、もしこの度量を失ったら、もしその文化を育み続けることを怠ったらならば、可能性の扉は閉じてしまう。人間の可能性を信じ共に歩もうと思えた、芸能の歴史調査でした。ありがとうございました。