
板橋区内寺院の宗派を探る
現在の宗派別寺院数
板橋区内に寺院はどれくらいあるのか、板橋区教育委員会発行の『いたばしの寺院』(1982年)やインターネット配信の地図等で調べてみました。漏れがあるかもしれませんが、49か寺の確認ができました(2025年2月24日時点)。寺院が管理する境外仏堂や、霊園墓地の類は除外しています。
宗派別にみると、多い順に、真言宗21、日蓮系10、浄土真宗系7、曹洞宗系6、浄土宗4、ほかに台湾佛光山別院が1となっています。

このうち、日蓮系と浄土真宗系の全てと、曹洞宗系2寺、浄土宗1寺、真言宗1寺は、明治以降に創建されたか、または板橋区内に転入して来た寺院です。実は、板橋区内に現存する日蓮系・浄土真宗系寺院の大半は、昭和の世になってから板橋区内にできた比較的新しい寺院なのです。現時点では、私たち板橋史談会のような歴史サークルが、こうした新しく創建された寺院を拝観させていただく機会が乏しいため、馴染みは薄いかもしれません。
文化庁編『宗教年鑑(令和5年版)』には、令和4年12月31日現在の仏教系宗派別宗教法人の寺院数が掲載されています。以下に記します。
総 数 72,597
天台系 4,012(5.53%)
真言系 11,951(16.46%)
うち智山派 2,847 豊山派 2,606 ほか
浄土系 29,086(40.06%)
うち浄土宗 6,821 浄土真宗本願寺派 10,072 真宗大谷派 8,404 ほか
禅 系 20,561(28.32%)
うち曹洞宗 14,456 臨済宗各派 5,634 ほか
日蓮系 6,733(9.27%)
奈良仏教系 243(0.33%)
その他 11(0.02%)
この数値は実際の寺院数を表すものではありませんが、板橋区の宗派別寺院数とは、傾向が異なっています。
まずは、本記事作成時点での板橋区内寺院を、宗派別に掲げてみましょう。(50音順)
真言宗寺院(42.86%)
【智山派】安楽寺(徳丸)、青蓮寺(成増)、清涼寺(赤塚)、泉福寺(赤塚)、成田山不動大教会(赤塚)、南蔵院(蓮沼町)、遍照寺(仲宿)、龍福寺(小豆沢)、蓮華寺(蓮根)
【豊山派】安養院(東新町)、延命寺(志村)、延命寺(中台)、観明寺(板橋)、西光院(南町)、西光寺(大谷口)、常楽院(前野町)、長徳寺(大原町)、長命寺(東山町)、万福寺(弥生町)、文殊院(仲宿)
【霊雲寺派】日曜寺(大和町)
浄土宗寺院(8.16%)
乗蓮寺(赤塚)、専称院(仲町)、智清寺(大和町)、東光寺(板橋)
浄土真宗系寺院(14.29%)
【浄土真宗本願寺派】慈光寺(大谷口上町)、東心寺(前野町)、念宗寺(板橋)
【浄土真宗昌玲寺派】昌玲寺(前野町)
【浄土真宗系単立】西念寺(中丸町)
【真宗大谷派】瑞法寺(大山町)、即得寺(双葉町)
日蓮系寺院(20.41%)
【日蓮宗】光龍寺(大谷口上町)、照伝寺(仲宿)妙光寺(南常盤台)、妙徳寺(小豆沢)
【日蓮正宗】妙国寺(高島平)
【日蓮本宗】宗仙寺(板橋)
【日蓮宗系単立】本成院(東坂下)
【法華宗本門流】龍光寺(中丸町)
【本門佛立宗】信泉寺(西台)、扇教寺(熊野町)
曹洞宗系寺院(12.24%)
【曹洞宗】圓福寺(西台)、松月院(赤塚)、善長寺(西台)、増福寺(赤塚)、福泉寺(中板橋)
【曹洞宗系単立】総泉寺(小豆沢)
台湾佛光山寺別院(2.04%)
東京佛光山寺(熊野町)
江戸時代の状況
では、江戸時代はどのような状況だったのでしょうか。
板橋区内の寺院には、創建が中世以前にさかのぼる古刹もありますが、多くの寺院は近世に入ってから創建されたと考えられています。
徳川幕府の寺請制度政策に対応するため、檀家となる寺院が数多く必要になったことや、幕府が開かれて板橋の地域社会も安定したことなどから、例えば村持ちの仏堂が寺院に進化した場合も少なくないようです。
『板橋区史通史編上巻』で江戸時代の区内寺院の状況を分析していますが、ここではこれも参考にしながら、19世紀前半に編纂された『新編武蔵風土記稿』から、江戸時代後期の区内寺院を一覧表にまとめてみました(表1)。

グレーで色付けした寺院は、廃寺・合併・転出などに伴い、板橋区に現存しない寺院です。
寺院分布から考える
さらに、表1の寺院について、地図上に落とし込みました。(図1)

地図をご覧いただくに当たって、留意していただきたい点があります。
現存寺院については「➊」のように、現存しない寺院については「①」のように表記しました。
表1に掲げた寺院のうち、№16・№37・№38の3か寺は、廃寺・合併で所在地が特定できないため、地図上に落とし込めませんでした。ただし、№16の両眼院はおそらく東新町・桜川・小茂根の周辺に、№37の興隆寺と№38の教性院は小豆沢周辺に所在したというところまでは推定ができます。
№11の玄宝院についても所在地の特定はできないのですが、『板橋区史通史編上巻』では平尾にあったと推定しており、あとで触れる論述上の必要性から、上記の対応とは矛盾しますが、平尾の地域にざっくりとマーキングしました。
また、№20の能満寺は、現在の行政区分では練馬区域になってしまいましたが、かつては上板橋村の範囲でしたので、表や図に加えています。
さて、表1や図1をご覧いただくと、江戸時代においても現在と同様に、新義真言宗の寺院が圧倒的に多かったことがお分かりいただけるかと思います。
新義真言宗には複数の派があり、智山派や豊山派がよく知られます。こうした呼称は近代以降に確立したようですが、便宜上、地図には赤丸で豊山派を、青丸で智山派の寺院を表示しました。


上板橋村・前野村・下板橋宿などの板橋区南部には豊山派が、下赤塚村・成増村・蓮沼村などの板橋区北部には智山派が集中しているという地域特性がみられます。『板橋区史通史編上巻』では、豊山派寺院の多くは西新井の総持寺(西新井大師)や中野の宝仙寺を本寺としており、智山派寺院の多くは上石神井の三宝寺を本寺としていることから、本寺が所属する派によって、系列が分かれたと指摘します。



他の宗派の状況はどうでしょうか。浄土宗3か寺は下板橋宿周辺のみに展開し、曹洞宗5か寺も赤塚・西台・中台という限られた地域に集中しています。

また、下板橋宿周辺には、天台宗(遍照寺)や法華宗(本寿院)、真言律宗(日曜寺)、修験当山派(玄宝院)という区内に1か寺ずつしか存在しない宗派の寺院、浄土宗3か寺、さらに新義真言宗寺院を加えた多様な宗派の寺院が混在しています。中山道の第一宿である板橋宿の宗教的多様性を示しているのかもしれません。
ところで、読者の皆さんは、江戸時代の板橋区には、臨済宗や浄土真宗系(浄土真宗本願寺派・真宗大谷派など)の寺院が皆無で、日蓮系の寺院も1か寺(この寺院ものちに転出)であることに気づかれたでしょうか。
宗派分布には、地域の特性が現われます。例えば、鎌倉や京都には北条執権家や足利将軍が帰依した臨済宗の大寺院とその末寺が数多くありますし、鎌倉は日蓮上人ゆかりの地ですから、日蓮宗寺院がたくさんあります。浄土真宗系寺院は、愛知・岐阜や北陸地方に多いことが知られますが、親鸞聖人も関東で布教活動をしましたから、都内でも逗留伝承がある地域では浄土真宗系の寺院が当然存在しています。
江戸時代において、浄土真宗系・日蓮系の寺院がほぼ無かったという板橋区内の様相も、地域特性の一つと言えるのです。
天台宗寺院の状況

『新編武蔵風土記稿』には、板橋の天台宗寺院では遍照寺のみ確認できます。この遍照寺も明治初年に廃寺となり、その後新栄講という不動講の道場となって、現在は真言宗の成田山新勝寺末寺として再生していますから、現在の板橋区内には天台宗寺院がありません。
徳川将軍家は、寛永寺(天台宗)と増上寺(浄土宗)を菩提寺にしていますから、江戸時代には天台宗は公的に篤く保護されていました。板橋区地域の多くは東叡山領という寛永寺の所領でした。けれども寺院としては1か寺のみであり、それも檀徒を持たない祈祷系寺院であったようです。
天台宗東京教区のホームページwww.tendaitokyo.jp(2025年2月25日閲覧)によると、寛永寺のお膝元である台東区に41か寺、品川区に8か寺、目黒区と墨田区に各8か寺、世田谷区と葛飾区に各7か寺をはじめ、東京23区内には100以上の天台宗寺院があります。しかし、足立区・荒川区・練馬区・板橋区には天台宗寺院が無く、北区にも1か寺、豊島区も2か寺があるに過ぎません。東京23区北部地域は真言宗寺院の地盤で、宗派の住み分けがあったと考えられます。
新義真言宗寺院の変化
そもそも武蔵国には、全体的に新義真言宗寺院が数多く存在していました。村田安穂は、関東の近世寺院について、「同時期の関東全域にわたる寺院の地域別・宗派別状況を示す史料はない。」としながらも、幕府官撰の地誌等から関東の寺院数を独自に集計しました。その結果、真言宗が多いこと、特に武蔵国では1,614寺のうち真言宗が640か寺(39.65%)を占めていることを明らかにしました。さらに、武蔵国では真言宗の中でも新義派が圧倒的で、板橋区地域を包括する豊島郡の新義派・古義派の比較では、新義派が97.6%であったといいます。(村田安穂1999年「補論 近世寺院の存在形態と文明開化期の民俗信仰」『神仏分離の地方的展開』吉川弘文館)

しかし、こうした状況は、明治維新を境に大きく変化していきました。新政府の神仏分離の宗教政策はよく知られていますが、真言宗は特に大きな影響を受けたようです。江戸時代後半の時点で、板橋には新義真言宗寺院は31か寺ありましたが、このうち12か寺が廃寺(または合併)となっているのです。そもそも真言宗は密教であり、加持祈祷を重視する宗派です。例えば、表1中の「江戸期の本末関係」に門徒と表記している、№7文殊院、№16両眼院、№18宝性院、№37興隆寺、№38教性院、№43金剛院は、原則として祈禱のみを担当し寺請はできない、つまり信徒はいても檀家を持てない寺院でした。したがって、その後の葬式仏教への対応は厳しいものだったと考えられます。旧門徒寺院で残ったのは文殊院だけでした。
日蓮系・浄土真宗系寺院の進出
明治政府の宗教政策とは比較的距離を置いていたと考えられる宗派が、日蓮系や浄土真宗系です。この2宗は、歴史的に迫害を受けた時代もありましたが、庶民を中心に一定の民衆から強い支持を集めていました。近代以降、布教活動が活発化した浄土真宗系・日蓮系の寺院が、板橋区内にも進出したことが、江戸時代と現在の寺院の宗派分布の違いに表れています。
近年では、他地域に本拠を置く寺院などの宗教法人が、板橋区内に墓地や霊園を展開している事例も散見されます。宗派不問としている場合も珍しくなく、今後さらに変化が進むのかもしれません。
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