言葉にできなくてもあるもの

最近はめっきり、言葉にできなくても、それでもそこに感じているものがあって、実は言葉にしていても、本当に言いたかったことをきちんと表現できているわけではないってことを感じていたいし、わかっていたいと思っています。

一方で、言葉にはうまくできていなくても、感じているものが共有できていることもわかるって感じることもあります。すべてがそうではないにせよ、お互いがそこにあるものをわかってくれると相手に思い、きっと受け取れているとその人が思うことで、思い込みと言えば思い込みですが、しかし不思議に伝わる以心伝心みたいなものってのはあるなあと感じることが多いです。しかも楽しい。

言葉で伝わった気がしていて、しかし伝わってないとわかると「えー」ってなってしまいます。言ったじゃん、伝えたじゃん、分かったって言ってたじゃん、って。

一方で、言葉にうまくできなかったり、言ってもないのに伝わる「えー」って、結局こっちも「えー」ってなるんですけども、意味合いが少し違う。なんでわかってくれるの?なんで伝わったの?っていうことが嬉しくて、えーってなる。伝わっただけで嬉しくなる、それが言語を超えたコミュニケーションの良さだなと。

言葉で伝えることはとても大事。だけど、言葉を超えて伝えたいなという気持ちがどんどん高まってます。言葉を超えて伝えられる力をもっと高めていきたいな、と思うなら、それを実際にやっていくしか方法はないよなあと思っています。

だから、さっさとやっていくつもりです。

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よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。