自分に課している人生のルール
今日も発見しました。強めのルール設定のひと。
「私は生産性を上げることによって生きてても良いというきまりがある」
「私は人の役に立たないなら生きていてはいけない」
え、ちなみに他人は?
「他人は生産性を上げなくても生きてて良い」
「他人は誰かの役に立たなくても生きていて良い」
なんでやねん(笑)
でも、めっちゃいますねこういう人たち。
僕も年間に数日そんな気持ちになる日もありますが、すぐに思い直しておりまして「いやいや、僕もみんなも呼吸してれば良いから」となります。
本当に呼吸だけしてれば良いのか。
うん、生きとし生ける全ての存在は呼吸をしていれば良いのです。
僕も誰も役に立たなくても生きていて良いし、楽しく過ごしても良い。
何もしなくても、幸せで良いし、呼吸するだけで価値があっても良い。
そんなルール設定で良いのか、どうか。
そのルールは結局のところ、誰が決める権利があるのか。
人生のルールはそれぞれ自分で決めている。
それを誰かに決められると強制された感じがあって嬉しくない。
それで自分で決めるわけだけど、まあまあ強めの設定をする(笑)
もう、そういうのは止めても良いと思う。
そしておじさん世代のやりがちな、そういう設定も本当にやめてほしい。
苦労をすれば報われるとか、我慢しないと幸せになれないとか、そういう勝手なルールを決めて守らせるのはやめよう。僕もやめる。
まさに地獄のルールだぜ、それは。
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。