なんとなく「きちんと拝みたいな」と思い始めて、神棚のありがたさに気づき始めました。昨年に丹波のおやじさんと慕う柳田さんに作ってもらい、お札を備えてあります。拝む場所が決まっているというのはいいことです。

本当に神棚をあんまり大切にしてなかったなーと思ってて、これをもう少し本当にちゃんと拝んでいきたいなあと思ったときに、「ファミレスの店員」でももっとちゃんとお客さんのお水替えているなと思ったわけです。

朝と昼と晩とかいうよりも、もしかしたらお水が欲しいかもと思ったときにきちんと気遣いを届けることに意味があるなと思いました。

あとお供物もお酒やお菓子をおいてある訳ですが、自分が美味しいなと思うものや、あれを食べたいなと思うものを純粋にシェアする気持ちでお供えしていこうかなと思うようになりました。

そういえば我が家の仏壇には、いつもお土産は最初に届けていたなと思っていて。それを同じようにやっていけばいいんだなと思いました。おやつとかお土産とか、おいしいものとか、なんか素敵なものとかね。まずはちょっと味わっていただいて、それからあとで僕もいただければいいなと思う。

なんでそんな風にするのかといえば、最も大事にするべきことを大事にしたいと思うから。色々と習慣が生まれてきた中で、僕はそういうことを習慣づけられていなかったなと思った訳です。最も大事なことは、家を大事にしたいなという気持ちを持ち、まずは最も大事な神棚に手を合わせることだと。

毎日必ず瞑想会もできているし、毎日必ずブログも書けている。これからも関係性を大事にするべき人たちと、週一回話すことも大事にできていて、だからこそそういうことを大事にしていくことを優先できてなかったなと。

そういうところから愛着が生まれて、大切にしていく行動が生まれていく気がする。これはもうじっくりとやるしかない気がする。自分を大事にして、家を大事にして、庭を大事にして、関わってくれる人を大事にしていく。僕はそういうことがやっぱりできてないし、38歳になってようやく、そういうことをやっても違和感がない気持ちが固まってきた気がします。

気付くのは遅い。けど気づけば改めていけばいい。そうして徐々に自分の中に大切なことが刻まれて、それを続けていくことができるようになる。大きな望みはさておき、小さな、そういうことを大切に、熱心にやろう。

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よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。