パートナーシップについて語るという安心感
今日は毎週火曜日20時からの「生死(いのち)の会」を開催しておりまして、第2週目はぼくが司会をしております。
6月のテーマは「結婚・恋愛」というテーマでございます。あと3回ありますのでご参加のほどよろしくお願いいたします。
さてこのテーマ、だれも人間が深く悩んで泥沼のようにはまり込む、楽しかったり苦しかったりすることが沢山ある人生のメインテーマともなりえるような深いテーマでございます。
今日は主に9名でこのテーマについて、赤裸々まさに赤裸々に語り合いまして、パートナーシップつまり恋愛感や嗜好性について語ることというのは、かなりセンシティブなことであるとそれぞれが感じていました。
だからこそ、それを語り合うことの貴重さをみんな感じていて、そういう場があるということを嬉しく思うということもわかりました。
羞恥心というのは、いろんな理由で起こるもんですが、誰かまとめてくれている人はいるのでしょうか。
この羞恥心というのは、やはり「これが当たり前の基準だよ、普通だよ」と言われることに追いつけない自分に気づくとき、自己嫌悪とともに起こってくるような感情だなと思うのでした。
だからこそ、その自己嫌悪する原因となっている自己羞恥の基準をシェアすることによって、「え、ごめん、それってそういうもんだから、全然恥ずかしいことじゃないって僕は思うよ」とか「むしろもっと恥ずかしいことがあって・・・」と、羞恥のマウンティングが始まるくらいでちょうどよくて、大変不思議なことなのですが羞恥心のマウンティングは笑いは起こっても誰も傷つかないのです。
というわけで、いよいよ伝説の部活「恥部」の再活動が求められているなと恥部名誉部長である、僕はこの世界に対する責任感を自覚をするのでした。
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