できることが増えて
高校生の頃はとにかく野球を一生懸命にやって、大学にいくとかなんとかでただ生きていたなと思います。いつか世界にとって役に立つ人になれたらいいけど、なれるか知らんけどな、くらいで。
大学に入って、居酒屋で役に立ってみたり、人力車で喜んでもらってみたり、祇園で夜の世界のお金を眺めてみたり、バーテンを少しかじろうとして泥酔させられたり、いろんな仕事をしながらなんとかただただ卒業して。
社会人になって、本当に人の人生の転機に向き合う仕事ができて、家族もできて、自分が諦めない限り、少しずつ新しい機会は生まれるんだとわかり。
サラリーマンをやめてから、一人で何ができるんかしらーと思ってて、でも市議会議員をやらせてもらう機会ができて、政治のことを少し知って、そこからご縁が色々と広がっていって。
NPOのアドバイザーの仕事も学び深くて、市民活動がどんなことに繋がるのかがわかって。
またフリーになって、メーカーの大きな企業で、世界に影響を与える産業ってなんだろうということを。そしてその統治の仕方を学んで。
最近は趣味の仏教をじわじわと広げてたら、学びたい学びはつくり、むしろ仏教そのものを日本で存続させていくために何ができるだろうって考えてたりして。
できることが増えると、必然的に、処理が遅ければ遅いほど手一杯に。
なのでやるべきことと、やらざるべきことを仕分けて、さっさと仕上げていく必要がある。任せられることは任せなきゃいけないし、自分がやっちゃいけないことはやっちゃいけない。
とはいえ、熱を伝える、とかはきっとやらなきゃいけないことなんだろうなーと思います。多くの人にどかーんと届くことなどできませんが、顔を想像して、きっといまそんな気持ちだろうなと想像するのはそこそこできる。
ああ、できることが増えても、結局は人と関わることに変わりはないか。
いろんな人とできることをやっていくだけなのだ。そうか。
なにかができるのではなく、なにかを一緒にやってくれる人たちとのご縁が生まれただけで、自分が何かをできるわけでもない。だから結局は自分がやるわけではなく、一緒にやってもらえる人と、一緒にやってもらえるように伝えるしかないのだな。そうだ。
そういうルールだったわ、そうそう。