場の力が育っていく

自らが関わってつくったという場が育っていくときに、自分がその場を所有しているものではないと心から思えていると、本当にその場はきっと最高に素晴らしいところになっているのだと感じている。


すでに8年目となった「Bows-Cafe」と5年目となった「Birthday」と5年目となった「小商い塾」は、自分の中にあった想いが表面化して立ち上げたいという気持ちになってから、協力してもらって立ち上げ、協力してくれた人たちに運営を任せ、おかげでゆったりと続いてくれていることができて、それでようやく長続きしていくというそういうパターンで出来ている。


「やってみたいな」


そんな風に思うことくらいは、誰しもが出来ることだけど、それを実際にやってみようという人はなかなかいない。


「よし、じゃあやってみよう」


そうして始めていけるなら立派なもので、そもそもやらない人が多い中で、まずは踏み出したことが素晴らしい。だけど現実的な課題はあって、簡単に実現しないこともある。


「そうだったのか、じゃあやりなおしてみよう」


失敗にくじけることなく、素早く次の一手を打てるとしたら、その成功確率はぐんと上がるだろう。失敗なくして成功することはないと僕は思うし、失敗というか学びと経験があるからこそ、精度の高い打ち手に変わっていく。


「できた!よし、つぎいってみよう」


僕が抱える最大の課題かつ持ち味は、ほぼ実現が目に見えると満足してしまって、他にまだやりきれてない次のチャレンジをしにいってしまうことだ。


このスタンスは本当に関わってもらった人にとっては相当厄介なもので、結局あいつどっか行くやんけ、やりっぱなしやんけ、自分でケツ拭けや、なんて言われるところはここである。正しいと思うけど、それでも興味がない。

誰かにとっての基準において、自分が正しくありたいと思わないし、それが誰かにとって正しくないとしたら、その人が僕と関わってもらえるチャンスはなくなっていく。でもそれでいいし、そうじゃないと僕も相手も苦しい。


僕がこうした特性を持っていることを知っているにもかかわらず、引き受けてくれる覚悟と気持ちをもった、もしくはあれよあれよというまにずるずる一緒にやってくれることになった人たちが育ててくれた場は、手を離れたり、自分がいるいないにかかわらず続き、しかもそこに自分がふらりと遊びにいってもいつも変わらず暖かく迎え入れてもらえる場になっていく。


自分もそういう関わりをしてくれる人との出会いに恵まれて、そうした機会が生まれていくのだと知れたし、相変わらず自分だけではなんにもできないスタンスで今日も堂々とポンコツっぷりを発揮してニヤニヤと生きている。

場の力が育つとき、オーナーシップは健全に失われていくように思っていて、違う人がオーナーシップを持つことで生まれる良さと悪さを理解しつつも、それをそのまま煮るなり焼くなり自由にするべし、と引き継いでいく。


したかったことが出来ている、見たかった景色を見ている、というのは本当に幸せだなあと思う。

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よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。