収穫体験と収穫は違うことを体験する
収穫体験というのは、まさに収穫するというのはこういう細かな工程を経まして、皆さんがスーパーでご覧になるような商品になっていくんです、えー、すごい、こんな風になってたんだ、楽しい、おもしろい、身体を動かすのっていいですよね、いいな自然の中で暮らしてみたいな、とれたての野菜を食べられるとか贅沢ですよね、あー、なんか都会で暮らしてるのいやになっちゃったなー、でも結局仕事あるから帰るんだけどね、あーあ。
ってなことが大事。
気持ちよくいい思い出で帰ってもらうのがゴール。
それはあくまでも、体験なのであって、ガチではないのである。
ガチで農作物を労働するものとして収穫しにきたつもりはないのに、そこでガチでやらせしまったとしても、いいことはない。嬉しくもなんともない。
そう、今日も僕は雨の中で黒枝豆を、間違いなくそれは収穫をし、とはいえ便利すぎる豆もぎマシーンのマメモーグをお借りして、じゃんじゃかサヤの黒枝豆を袋詰めしていたのであった。
そして今日は僕が関わっている人以外に収穫の手伝いにきてくれる人がたくさんいるらしいっていう話を農家さんから聞いて、こりゃー今日は収穫が捗っちゃうのかな、なんて思ってたけど、べつにそうでもなかった。
そりゃそうだ、そんな普通は収穫をゴリゴリ手伝うなんてことはしないわけだし、僕だってにわかにこんな風に収穫をしているだけで、普段はふざけた格好でフラフラしているのであって、ちょっと二日くらい枝豆を収穫したくらいで、大それたことをいう筋合いはないのだ。
収穫体験をしにきた人は、体験をしにきているのであって、収穫をしにきたわけでもないし、農家さんの手伝いをしにきたわけでもないのに、期待値をほんのすこし調整しなかっただけで、
「なんだー、収穫体験って、ほんとに体験だけしていくの!?えー、もうちょっと刈ったり、もっとがんがん豆をもぐとかしないの!?えー!」
みたいな気持ちになるのは、こっちの期待値が間違っている。今日はそんな小さな自分を発見した。
なんせいま反省しているのは、収穫からの豆もぎからの袋詰めからの梱包を経ての宛名書きからの出荷、がこんなに面倒だったかというのを今更ながら思い出し、ご機嫌よくやるレベルを超えて、自分で労働にしてしまってどうすんだ馬鹿なのかとセルフでツッコミを入れている。
そもそもさじ加減が大事よね。
そして苦手な作業をあらためてものっすごい苦手だと感じた。
だから僕たちはせめて、感謝をして、お金を対価にし、その労働が報われていくような支払いと賞賛をしていく。あまりにもこのエダマメはうまいと。
疲れて何を言っているのかわからんのでこのあたりで本日はもう終了(笑)