意味はないけど楽しくやってるのさ
意味があるならやる、人がいるとしたら、まあそれもいいでしょう。
でも意味がなくてもやることがあってもいいし、意味がなくてもついついやっちゃうことがあっても良くて、ついついやっちゃうことをもしも、「これは意味がないから本当はしちゃいけないことなのに、なんでついついやっちゃうんだろうか、僕は。意味のないことをする僕は価値のない人間だし、価値がないなら生きてても仕方ないのだ。」なんてことになったら、切ない。
価値があるとかないとか、究極のところを考えてないから言えるのだとおもうけど、どうでしょうか。本当に究極のところまで考えて、意味があることなんてあるのかなあと思っているから、僕は胸を張って価値があることなんてのは口に出しづらい。
僕が価値があるとかないとかもしも口に出したとしても、心の底では「まあホンマはぜんぶ、意味も価値もないけどな。ウケるな(笑)」と思っている。瞬間瞬間は楽しんでいるけど、意味など本当はない。
じゃあ、なんで色々とやっているのかというと、「ついついやっちゃう」を積み上げたら、ただここに居たというだけのこと。僕がやっていることに、なんか意味がありそうに見えても、それはまやかしだと僕は思っている。
そこで僕は意味がありそうにみえるプレイをしているだけだ。
そのプレイは楽しかったり、味わい深かったりするし、なんとなくそうしたかったりもするし。
冗談だと分かっている人はさておき、本気で意味にこだわっている人を見ると、「ああ、なんか色々大変だな」と本当は思いながらも、意味にこだわっている人と話す必要がある時には「(あなたは)意味って大切(だと思っている人)ですよね。」と伝えるようにしているし、そうしないと、会話が成り立たない。それでその話以外は、それほど分かりづらい話をしないようにする。伝わりようがなく、相手もイライラさせたり、こちらもなんとも心地悪い感じになることが多いからだ。
そうじゃない話ができる人とは、またそんな話をしながらワキャワキャと、この世にあるたくさんの味わい深い体験や不思議をただ楽しむ。価値のあるなしに伴わず、この世の中は「ついつい自分が無自覚にやっちゃうことをやっちゃってるだけでついつい楽しくなっていい感じになってしまう世界」だからだ。断言すると色々うるさいから、そういう世界だと僕は信じていますという言い方をする大人なところはまだある。
まあ、もうちょいで離陸しそうだが。