どう考えても、これからヒマだと思う。
そしてどう考えても、ヒマは人を悩ませる。


どんどん便利になっていく中で、自走式の掃除機ルンバが実際に世の中で活躍するようになってから、ずいぶんと潮目が変わってきたように思う。

スマートスピーカーが思いのほか、いろんな家電量販店で販売されていて、それらをスマホは渋っただろう世代の方々がまあまあ購入されているところを噂に聞くにつけて、潮目は完全に変化したと確信している。


ほとんどの人間がなにもしなくても、人間が食っていける時代になる。


それは戦後に本当に食べるものがなくて困ってきた人たちが夢見てきた、銀シャリ(白ごはん)を腹いっぱい食べること、というのが本当に夢のような話ではなくなったということ。

夢のような食べ物だった銀シャリは、そのあたりの飲食店でどこでも安価にごく当たり前に提供される世の中になってきたように、例えばお寿司のような、一昔前は本当になにかめでたいあったときにお祝いでいくような食事(たぶんそうだったと思うんだけど、そうよね?)さえ、ちょっと中高生が気楽に立ち寄れるようなそんな時代になったのだから、物質的にはずいぶんと豊かになったのである。


最近とても気に入っている話だが、歴史マンガなんかにも描かれているように、一説によると徳川家康公は鯛の天ぷらが美味しすぎて、食べ過ぎてしまって、さらに油もよくなかったらしく、食中毒が原因で亡くなってしまったという逸話がある。

江戸時代において、日本の絶対的君主であった徳川家康公は、天ぷらがうますぎて、食べ過ぎて、死んだという逸話が真実かは定かではないし、それが正しいかどうかは別だとしても、それだけ天ぷらが高く評価されるべき食事であったということは間違いないだろう。

でも僕らの時代において「てんや」はポピュラーな天丼屋であるが、恐らく「てんや」の天丼はそれに負けない天ぷらを提供してくれるに違いないし、それにも関わらず日本のトップでないと食べられないような価格でもない。


贅沢というのは「手に入れ難い」からこそ贅沢であると言える気がする。


そういう意味で、「どうにかすれば手に入るもの」に贅沢さはあまり感じられないので「どうにかすればお金が手に入るようになった世の中」においてお金で交換できるものに贅沢さを感じることがなくなってきたといえる。

それよりもいかに絶妙なタイミングで提供されるのか、自分では生きられないくらい長い時間がかかってきたのか、自分にとっていかに特別な存在から提供されるか、二度と手に入らない消えて無くなるものか、もうその人たちに会えないか、もう集まれないか、などが重要になってきている。


ただ、ずーっと「わたしにとっていかに希少であるか」ということがその人にとって重要なのかは変わってない。


これまではお金を蓄えて、いい暮らしをしていくことがとても豊かであるということを信じて生きていられる世の中であったけれど、それがもう飽きてしまうくらいになってしまうとき、なぜそんなに働かないといけないのか、という問いも生まれ始めてくる。

単純な作業が自動化してきた中で、選択肢を調べて比較するための情報を集めることすら自動化しており、それがより加速していくことが予想されるとき、人が考えることすらも効率化され、今までよりもきいっと余った時間がどんどん生まれてきてしまうだろう。


いよいよ、人はひまに向き合わなければいけなくなりそうだ。


ひまに向き合えるほど覚悟ができている人はそう多くないと思っているが、どうだろう。ひまになると、人は「なんかやらなくていいのか」とか「なにもやることがないのは、自分の存在が世の中に必要とされてないからか」とか、「そもそも、自分なんて世の中に必要なのか」とか、つまるところ「そもそもなんで生きてるんだ」なんてことを考えざるを得なくなるだろう。


そのときに、そこに真剣に向き合って簡単にやり過ごせる人はそんなにいるのだろうか。


割とふざけた生き方をしているけれど、腹の中ではずっとそんなことにずっと向き合ってきたつもりなので、そういう話ができる人がいると嬉しくて、ついついいっぱい話したりしてきたように思う。

個人的には、ひまに向き合うべきとき、人はけっこう苦しんだり、悩んだりするのではないかと思っている。けれど、ようやくその話をしてもいい時がきたなーと、僕は思えるような気がするので、その時がけっこう楽しみだったりしている。


みんなはどんな風にこれからひまになるであろう時間を過ごしていくのだろうか。スマホゲームとかをずっとやるのだろうか。

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よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。